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キンツェム ( リダイレクト:キンチェム ) : ウィキペディア日本語版 | キンチェム
キンチェム〔日本では長い間「キンツェム」として知られてきたが、ハンガリー語の発音では「キンチェム」の方が近い。ハンガリー政府観光局もこちらの名称で同馬を紹介している。〕(''Kincsem''、1874年 - 1887年)はハンガリーの歴史的競走馬。名前はハンガリー語で「私の宝物」の意味(恋人同士や夫婦の間で使うと「あなた」の意味になる)。デビューから引退までの無敗記録としては世界記録となる54戦54勝の記録を持つ。デビューからの連勝記録としてもプエルトリコのカマレロに破られたものの、いまだそれに次ぐ2位の記録である。 == 出自 == キンチェムはハンガリーの国立キシュベル牧場に生まれた。キンチェムの母ウォーターニンフ (Water Nymph) はオークス5着のザマーメイド (The Mermaid) の子で、現役時代にハンガリーの1000ギニーに優勝した名牝だった。キンチェムを生産したエルンスト・フォン・ブラスコヴィッチは、自分の乗馬用の馬としてこの馬を購入したのだが、周囲に説得されて繁殖牝馬とした。ウォーターニンフは繁殖に入って1年目からハンガリーオークス馬のハマト (Harmat) を輩出した。2年目にはバッカニア (Buccaneer) 〔ハイフライヤー系最後の歴史的種牡馬。引退後すぐにハンガリーに輸出されたが、イギリスに残したフォルモサがクラシックを4勝(牝馬三冠+2000ギニー)するなど活躍しハイフライヤー系種牡馬として最後のイギリスリーディングサイアーを獲得した。東欧ではドイツで4回、ハンガリーで15回リーディングサイアーを奪取した。〕が配合されるはずだったのだが、牧場のミスでウォーターニンフはカンバスカン (Cambuscan) に配合されてしまい、そしてキンチェムが生まれた。カンバスカンは種牡馬として活躍したニューミンスターを父に持ち、2000ギニー2着、セントレジャーステークス3着に入った後にイギリスで種牡馬となり、2000ギニーを勝ったカムバッロ (Camballo) を出している。その後ハンガリーのジョッキークラブに購入されたが、受胎率が低くバッカニアに比べれば人気はなかった。 キンチェムは1歳時にブラスコヴィッチの所有するタピオセントマルトン牧場に移動した。ブラスコヴィッチの生産馬は1歳時に1人のオーナーに対して一括で売却されることになっており、1875年の1歳馬はアレックス・オークシーという人物に7頭まとめて700ポンド程度の価格で売却されることになったのだが、購入したにもかかわらずオークシーはキンチェムともう1頭の馬を引き取らなかった。キンチェムはひょろっとした暗い毛色の栗毛馬で外見が悪かったため、オークシーは走らないと判断したのである。結局、キンチェムは生産者であるブラスコヴィッチの所有馬として走ることとなった。 このように外見が悪かったキンチェムであったが、意外な人物にその素質を評価されていた。キンチェムは子馬の頃ロマに誘拐された事があり、犯人逮捕後に警察が「あの牧場にはもっといい体の馬が沢山いたのに何でこんな馬を狙ったんだ?」と尋ねた。すると犯人は、「確かにあの馬は外見は他の馬に見劣りする。でもそれを補って余りある勇気を持っていたんだ」と答えたという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「キンチェム」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kincsem 」があります。
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