翻訳と辞書
Words near each other
・ クインテット (テレビ番組)
・ クインディチ
・ クイント
・ クイントインテグラ
・ クイントゥス
・ クイントゥス・セルウィリウス・カエピオ
・ クイントゥス・セルトリウス
・ クイントゥス・セルビリウス・カエピオ
・ クイントゥス・ティトゥリウス・サビヌス
・ クイントゥス・トゥッリウス・キケロ
クイントゥス・ファビウス・ピクトル
・ クイントゥス・ファビウス・マクシムス・アエミリアヌス
・ クイントゥス・ファビウス・マクシムス・ルッリアヌス
・ クイントゥス・ファビウス・マクシムス・ルリアヌス
・ クイントゥス・ホラティウス・フラックス
・ クイントビル
・ クイントン“ランペイジ”ジャクソン
・ クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン
・ クイントン・コプルズ
・ クイントン・ジャクソン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

クイントゥス・ファビウス・ピクトル : ミニ英和和英辞書
クイントゥス・ファビウス・ピクトル
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


クイントゥス・ファビウス・ピクトル ( リダイレクト:クィントゥス・ファビウス・ピクトル ) : ウィキペディア日本語版
クィントゥス・ファビウス・ピクトル
クィントゥス・ファビウス・ピクトル, 紀元前254年頃 - ?)は、古代ローマ最初の歴史家元老院議員。名門ファビウス氏族の一員で、家族名ピクトル(pictor)はラテン語で「画家」を意味する。
共和政ローマの元老院議員として紀元前225年ガリア人との戦いやカルタゴとの第二次ポエニ戦争を指導した。カンナエの戦いでのローマの大敗の後、デルポイへ神託を伺う使節をして派遣された。
ピクトルはローマ最初の歴史家とされるが、著述はラテン語ではなくギリシア語で行っている。その著作は引用などで断片が伝わるが、大半は散逸してしまっている。ピクトルの著作はラティウムへのアイネイアースの到着から自身の経験した第二次ポエニ戦争までを扱ったとされ、執筆年代は第二次ポエニ戦争後とされているが、戦争中に書かれたとの主張もある。
著作の内容については、閥族主義的で有力家系の視点からローマの歴史を述べたといわれる。また第二次ポエニ戦争について、自身の属したファビウス氏族のクィントゥス・ファビウス・マクシムスの賞賛や擁護を重く見る研究者もいる。ポリュビオスに従えばピクトルは、第二次ポエニ戦争についてその責任をハミルカル・バルカハンニバルらバルカ家に帰している。
その著作はポリュビオスのほか、ティトゥス・リウィウスハリカルナッソスのディオニュシオスなどが典拠と使用している。またキケロの時代までにラテン語に翻訳されていた。
'', 紀元前254年頃 - ?)は、古代ローマ最初の歴史家元老院議員。名門ファビウス氏族の一員で、家族名ピクトル(pictor)はラテン語で「画家」を意味する。
共和政ローマの元老院議員として紀元前225年ガリア人との戦いやカルタゴとの第二次ポエニ戦争を指導した。カンナエの戦いでのローマの大敗の後、デルポイへ神託を伺う使節をして派遣された。
ピクトルはローマ最初の歴史家とされるが、著述はラテン語ではなくギリシア語で行っている。その著作は引用などで断片が伝わるが、大半は散逸してしまっている。ピクトルの著作はラティウムへのアイネイアースの到着から自身の経験した第二次ポエニ戦争までを扱ったとされ、執筆年代は第二次ポエニ戦争後とされているが、戦争中に書かれたとの主張もある。
著作の内容については、閥族主義的で有力家系の視点からローマの歴史を述べたといわれる。また第二次ポエニ戦争について、自身の属したファビウス氏族のクィントゥス・ファビウス・マクシムスの賞賛や擁護を重く見る研究者もいる。ポリュビオスに従えばピクトルは、第二次ポエニ戦争についてその責任をハミルカル・バルカハンニバルらバルカ家に帰している。
その著作はポリュビオスのほか、ティトゥス・リウィウスハリカルナッソスのディオニュシオスなどが典拠と使用している。またキケロの時代までにラテン語に翻訳されていた。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クィントゥス・ファビウス・ピクトル」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Quintus Fabius Pictor 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.