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クロイズ山の戦い(クロイズさんのたたかい、)は、南北戦争の開戦から4年目に入った1864年5月9日、バージニア州西部のプラスキ郡で起きた戦闘である。この戦いに北軍が勝利したことにより、テネシー州とバージニア州を繋いでいた南軍として最後の連絡線を破壊することになった。 == 背景 == 北軍ジョージ・クルック准将が指揮する西バージニア軍は、カナウハ師団からの3個旅団で構成されていた。ユリシーズ・グラント将軍が1864年春の攻勢を始めたとき、北軍の2つの軍がアメリカ連合国の首都であるバージニア州リッチモンドに向かって進軍を始め、3番目の軍はシェナンドー・バレーに入った。クルックの部隊もこの攻勢に加わることとなり、アパラチア山脈を抜けてバージニア州西部に行軍を始めた。その目標は、同じような目標を持ったウィリアム・A・アブリルの攻勢と共同して、バージニア・アンド・テネシー鉄道を破壊することだった。この鉄道線を守るのは、散開した幾つかの南軍部隊を指揮するアルバート・G・ジェンキンス准将だった。クルックの軍が鉄道への接近を始めたときの、ほんの数日前にその部隊の指揮を始めたばかりだった。 それでもジェンキンスは経験を積んだ軍人だった。1863年のゲティスバーグ方面作戦のとき、ジェンキンスの旅団は、リチャード・イーウェルの第2軍団のために騎兵による遮蔽を行った。ジェンキンスはその部隊を率いてカンバーランド・バレーを抜けてペンシルベニア州に入り、チェンバーズバーグを占領し、近くの鉄道用構造物と橋を燃やした。その後イーウェルの部隊に付いてカーライルに行き、ハリスバーグ近くのスプリングヒルの戦いで、北軍の民兵隊と簡単な戦闘を行った。ゲティスバーグの戦いのとき、7月2日に負傷し、最終日の戦闘には参加できなかった。傷から快復して部隊指揮に復帰したのはその年の秋になってからであり、1864年初期は、西バージニアで大規模な騎兵隊を立ち上げ編成することで過ごした。5月までに西バージニア方面軍の指揮官に指名され、作戦本部はダブリンに置いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クロイズ山の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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