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コンラート・ヤコブ・テミンク〔オランダ語では「コンラット・ヤコブ・テミンク」および、「コンラッド・ヤコブ・テミンク」と発音される。〕( 1778年3月31日 - 1858年1月30日)は、オランダの貴族であり、動物学者・鳥類学者である。 == 概要 == オランダのアムステルダムに生まれた。同名の父親のヤコブ・テミンク〔18世紀のオランダには現在のような姓の概念がなく、自分の名前の後に父親の名前を併記するなどしていた。〕がオランダ東インド会社の収入役であったこともあり、若い頃にその支配下にあったスマトラ島に住んでいたこともある。また、父親は鳥類の標本を大量にコレクションしており、テミンクはこれを譲り受け、ヨーロッパ有数の鳥類コレクションにまで発展させた。1820年、オランダのライデンに王立自然史博物館(ライデン博物館)が建設されると、鳥のコレクションを寄贈する代わりに初代館長として着任し、ハールレム(リッセという説もある)で没するまでの30年以上に渡って館長職を務めた。 テミンクは鳥類の、特にハトの研究などを行い、また著書である ""(1815) は、ヨーロッパの鳥類についての標準的な研究として、長年にわたって評価された。その他の著作としては ""(1813-1817) などが挙げられる。また、鳥類以外には哺乳類の研究も手がけており、多くの新種について記載論文を執筆している。1837年12月22日にはロシア科学アカデミー自然科学部門の会員となった。 シーボルトの「日本動物誌」("", 1844-1850) の編纂においては、自然史博物館の脊椎動物管理者シュレーゲルと共に脊椎動物を担当した。日本産の大型脊椎動物は、テミンクとシュレーゲルによって学名が命名されたものが多い。なお、甲殻類は無脊椎動物管理者デ・ハーンが担当した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コンラート・ヤコブ・テミンク」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Coenraad Jacob Temminck 」があります。 スポンサード リンク
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