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グルジア問題(グルジアもんだい、)とは、グルジア社会主義ソビエト共和国の政治変革を達成する方法をめぐり、ボリシェヴィキ指導部内に起こった政治紛争である。グルジアをめぐる論争は赤軍のグルジア侵攻によって強制的に共産化された直後に起こり、1922年後半にピークを迎えた。この論争の一方にはと率いるグルジアのボリシェヴィキ指導者たちがおり、他方にはロシア共和国で事実上の実権を握っていた指導層、特にヨシフ・スターリンとセルゴ・オルジョニキーゼが立つものであった。論争の内容は複雑で、モスクワからの自治を維持せんとするグルジア側の願望や、ボリシェヴィキが画策していた国境政策の独自解釈、特にグルジア特有の解釈が絡み合っていた。論争の中でも主要な論点の一つは、グルジア、アルメニア共和国およびアゼルバイジャン共和国をザカフカース連邦に併合するというモスクワの決定である。グルジア共和国単独でソビエト連邦の一員としての地位を要求するグルジア側指導者は、この動きに強硬に反対した。 この問題は病床にあったウラジーミル・レーニンをとりまく権力闘争の中で決定的なエピソードとなる。グルジア側はレーニンの支持を獲得しようと模索していた。論争はスターリン=オルジョニキーゼ側の勝利に終わり、グルジアの穏健派共産主義政権が失脚する結果となった。また、この件はレーニンとスターリンの間の最終的な決別の一因ともなり、レーニンに最後の主著を書かせるきっかけとなった〔Smith, Jeremy (May, 1998), The Georgian Affair of 1922. Policy Failure, Personality Clash or Power Struggle? Europe-Asia Studies, Vol. 50, No. 3, pp. 519-544.〕。 == 背景 == グルジアにおけるソビエトの統治は、1921年2月から3月にかけての赤軍の軍事行動によって確立した。この軍事行動は主に、ソヴィエト・ロシア内で強い影響力を持ったグルジア出身の二人の党員、ヨシフ・スターリン(当時はロシア共和国の民族問題人民委員)とセルゴ・オルジョニキーゼ(ロシア共産党のザカフカース地方委員会(''Zaikkraikom'')書記)によって主導された。グルジアの命運に関するボリシェヴィキ内部の意見不一致は、赤軍の侵攻よりも前から存在した。スターリンとオルジョニキーゼはメンシェヴィキ中心の政府が主導するかたちで独立グルジアを早急にソヴィエト化するよう主張したのに対し、トロツキーは「蜂起を醸成し、後に彼らを助けるため、グルジア内で作業を行ういくらかの事前準備期間」を置くことに賛同した。レーニンはグルジア侵攻の帰結について曖昧な態度であった。国際的な成り行きとトルコのケマル政権による危機の可能性を恐れていたのである。1921年2月14日、レーニンは最終的にグルジアへの介入を承認したが、後に、カフカースからの明確で一貫性のある情報が不足していたことに繰り返し不平を言った〔Suny, Ronald Grigor (1994), ''The Making of the Georgian Nation: 2nd edition'', pp. 210-212. Indiana University Press, ISBN 0-253-20915-3〕。新たに確立されたソヴィエト支配に対する反発の広がりを十分に意識していたレーニンは、軍が強制した体制に反発心を持つグルジアのインテリゲンツィアや農民が和解できるような政策を好んだ。しかしながら、多くの共産党員はロシア内戦中に彼らの反対者に対して宣伝した手法を捨て、より柔軟な政策へ転換することに抵抗があった。フィリップ・マハラーゼのような穏健派にとっては、レーニンのアプローチはソビエトの力のため幅広い支持基盤を確保する合理的な方法であった。穏健派は、メンシェヴィキの反対に対する寛容、党内におけるより大きな民主性、漸進的な国土改造、また何よりも、敏感な民族的感情とグルジアのモスクワからの独立への配慮を擁護したのである。対するオルジョニキーゼやスターリンのような共産党員はより強硬な路線を主張し続けた。彼らは反対勢力を完全に一掃し、新たにソヴィエト化された諸共和国の党の支配を中央集権化することを追求したのである〔Knight, Ami W. (1993), ''Beria: Stalin's First Lieutenant'', p . 26-27. Princeton University Press, Princeton, New Jersey, ISBN 0691010935〕〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グルジア問題」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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