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ケープジラードの戦い(ケープジラードのたたかい、)は、南北戦争の3年目、1863年4月26日に、ミズーリ州ケープジラード郡で、南軍ジョン・マーマデューク准将によるミズーリ州への第二次遠征の一部として起きた戦闘であり、北軍ジョン・マクニール准将の守備隊を追いかけて始まった。この戦闘は今日まで「戦い」と呼ばれてはいるが、比較的小さな戦闘であり、その重要性はマーマデュークによるミズーリ襲撃を終わらせることになった転回点としてである。 == 背景 == ジョン・マーマデュークは1863年の初めに4,000名を超えるとされる騎兵隊を率いて、北軍の物資破壊と略奪を目指して、第一次のミズーリ州襲撃を敢行したが、第二次スプリングフィールドの戦いとハートビルの戦いを戦った後に、一旦アーカンソー州に退いていた。 マーマデューク将軍は1863年4月18日にアーカンソー州北東部からミズーリ州への第二次襲撃を始めた〔Ponder 1994, p.30.〕。この襲撃の間に、その部隊にとって大いに必要としている物資獲得を目指していた。部隊の内数百名は武器も無く、馬も無かった〔Bartels 1992, p.132; Maple 1913; Oates 1963; Ponder 1994, p.47; Snider 1956, p.50.〕。マーマデュークは、その武器も無い兵士を放っておけば脱走するかもしれないと恐れたが、連れて行けば襲撃で武器や馬を捕まえて補充できると考えていた〔Bartels 1992, p.132; Snider 1956, p.50.〕。 マーマデュークはその約5,000名の師団を2つに分け、それぞれ2個旅団に編成した。ジョージ・W・カーター大佐が一方の部隊を率い、コルトン・グリーン大佐とカーター自身が率いる旅団で構成した。2つ目の部隊はジョセフ・O・シェルビー大佐が率い、ジョージ・W・トンプソン大佐の率いるシェルビーの有名な鉄の旅団と、ジョン・Q・バーブリッジ大佐の率いる旅団で構成された〔Phillips 1956; Ponder 1994, p.24-26.〕。この師団全体で8門ないし10門の大砲を持っていた〔Bartels 1992, p.132; Oates 1963; Snider 1956, p.50.〕。 マーマデューク将軍はカーター大佐の部隊にミズーリ州ブルームフィールドに進行し、そこを守る北軍ジョン・マクニール准将の指揮下にある守備隊を捕まえるように命令した〔“Anniversary” 1939; “April 26th” 1930; Phillips 1956; Ponder 1994, p.47.〕。マクニールが脱出できるとすれば、北軍の地域本部がある北のパイロットノブに向かうものと考えられた。マーマデュークはシェルビーの部隊を伴い、フレデリックタウンの北で、その脱出経路を阻止できると見た〔“Anniversary” 1939; Ponder 1994, p.47.〕。シェルビー隊は4月22日にフレデリックタウンに到着したが、カーター隊はミンゴ湿地を抜けるのが難しかったために、4月23日になってブルームフィールドに到着した。カーターがブルームフィールドに到着したときに、マクニールが既に2日前にそこを出て行ったことが分かった〔Oates 1963; Ponder 1994, p.50.〕。マクニールはマーマデュークの部隊がパイロットノブへの道にいることを知り、そこへ撤退せよという命令に逆らい、北東の要塞化した町ケープジラードに向かい、4月24日に到着した〔Phillips 1956; Ponder 1994, p.48; Webb 1900, p.182.〕。 カーターはマクニールがフレデリックタウンとパイロットノブに向かう道路以外の方向に逃げた場合には、追いかけるなと指示を受けていた〔Ponder 1994, p.48.〕。しかし、カーターも命令に従わず、マクニールを追ってケープジラードから4マイル (6 km) 以内まですすみ、4月25日正午ごろに到着した〔Dittlinger 1976; Phillips 1956; Ponder 1994, p.55; Snider 1956, p.50.〕。カーターは続いてマクニールに守備隊の降伏を迫り、30分以内に回答するよう要求する手紙を送った。この手紙には南軍のスターリング・プライス少将の署名もあり、マクニールにプライス将軍が近くにいると思わせ恐怖心を植え付けることを期待していた〔Bartels 1992, p.133; Guilbert 1863; Ponder 1994, p.56-58.〕。しかし、マクニールはその防御力を信頼しており、降伏を拒否した〔Murdoch, p.158.〕。カーターは攻撃の前にマーマデューク将軍にその状況を伝える伝言を送り、マーマデュークはシェルビーの部隊と共にケープジラードで起こる可能性のある戦闘の応援に駆け付けることにした〔Phillips 1956; Ponder 1994, p.56.〕 。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケープジラルドーの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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