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ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック(Joseph Louis Gay-Lussac、1778年12月6日 - 1850年5月9日)は、フランスの化学者 、物理学者である。気体の体積と温度の関係を示すシャルルの法則の発見者の一人である。アルコールと水の混合についても研究し、アルコール度数のことを「ゲイ=リュサック度数」と呼ぶ国も多い。弟子に有機化学の確立に貢献したユストゥス・フォン・リービッヒがいる。 なお、フランス語でのJoseph Louis Gay-Lussacの発音を日本語に音写すれば、「ジョゼフ・ルイ・ゲ=リュサック」が原音に最も近いといえるだろう〔〕。 == 生涯 == リモージュ近郊のサン=レオナール=ド=ノブラに生まれた。家庭で教育を受けていたが、1794年に父がロベスピエールの恐怖政治の犠牲となって逮捕されたため、パリに行ってエコール・ポリテクニーク(国立理工科学校)に入学する準備を開始。1797年に入学した。3年後、国立土木学校 (Ecole des Ponts et Chausses) に移り、間もなく指導教官クロード・ルイ・ベルトレーにつく。1802年に理工科学校の化学者アントワーヌ・フールクロアの助手になり、その後1809年に化学の教授になった。1808年から1832年までソルボンヌ大学で物理学の教授を務めたが、パリ植物園の化学の教授の職を務めるためにソルボンヌを辞めた。1821年、スウェーデン王立科学アカデミーの外国人会員に選ばれた。1831年、下院のオート=ヴィエンヌ県代表に選ばれ、1839年には上院議員となった。 1809年、 ジュヌヴィエーヴ=マリ=ジョゼフ・ロジョ(Geneviève-Marie-Joseph Rojot)と結婚。彼女は服地店の店員だったが、カウンターで化学の教科書を学んでいたのをゲイ=リュサックが見て、知り合うようになった。5人の子をもうけた。長男ジュール(Jules)はギーセンのユストゥス・フォン・リービッヒの助手となった。ジュールにもいくつか著書があり、ファーストネームのイニシャルが父と同じであるため (J. Gay-Lussac)、時々混同されることがある。 パリで亡くなり、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。 子孫の一部はブラジルやカナダにも住んでいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Joseph Louis Gay-Lussac 」があります。 スポンサード リンク
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