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ゲルニカの樹
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ゲルニカの樹 ( リダイレクト:ゲルニカの木 ) : ウィキペディア日本語版 | ゲルニカの木[げるにかのき]
ゲルニカの木(、)は、スペイン・バスク自治州・ビスカヤ県・ゲルニカにあるオークの木。の傍らにある。この木はビスカヤの自治の象徴であり、後にバスク地方全体の自治の象徴となった。現在見ることができるのは4代目のゲルニカの樹である。 == 樹木としての「ゲルニカの木」 == 中世には、ビスカヤ地方の村々の代表者は地元にある大木の下で集会を行い、ビスカヤ領主はこの木の下でビスカヤの特権の尊重を誓った。1839年までは、この誓いなしには領主として認められなかった〔ホセ・アントニオ・アギーレ『バスク大統領亡命記』狩野美智子訳、三省堂、1989年、p.7〕。時が経つと、オークは「集会」の象徴的な意味となり、実際の集会は会議専用の(現在の建物は1833年完成)で行われるようになった。1930年代後半のスペイン内戦で、ゲルニカはフランシスコ・フランコ将軍の援助を受けたドイツ軍によるゲルニカ空爆を受けた。ゲルニカの町は瓦礫の山と化したが、バスク議事堂の建物とゲルニカの木のみは無事だった〔川成洋『スペイン -光と影の出会い-』教育社、1991年、p.241〕〔牛島信明・川成洋・坂東省次『スペイン学を学ぶ人のために』世界思想社、1999年、pp.108-109〕。このことがフランコ側の「ゲルニカ空爆はバスク軍自身による犯行」という主張の根拠となった〔。フランコの軍隊がゲルニカの町を奪うと、カルリスタの有志によるベゴニャの義勇軍がゲルニカに駆け付け、バスク民族主義の象徴である「ゲルニカの木」を保護するために木の周囲に武装した見張りを置いた〔An interview with Jaime del Burgo Torres , the captain that ordered the guard. Allegedly from El Mundo (31 October 2005).〕。1936年、バスク自治政府初代レンダカリ(政府首班)のホセ・アントニオ・アギーレがこの伝統を復活させ、以後のバスク自治州政府レンダカリは就任後にこの木の下で宣誓を行っている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゲルニカの木」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Gernikako Arbola 」があります。
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