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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
コッキーポップ(''Cocky Pop'')は、ニッポン放送他NRN加盟の各局で1971年 - 1986年に放送されていたラジオ音楽番組、または日本テレビ系列で1977年 - 1982年に放送されていた音楽番組。略称は『コッキー』。 いずれもヤマハ音楽振興会が制作協力し、ヤマハの提供で、『ヤマハポピュラーソングコンテスト』と連動していた番組である。司会、パーソナリティも両番組共通して大石吾朗が務めていた。 == ラジオ == ===概要=== 『ヤマハポピュラーソングコンテスト』(ポプコン)がまだ『作曲コンクール』というタイトルで行われていた1971年6月7日に放送開始。リスナーから寄せられたはがきとポプコンで入賞した曲を中心とした選曲、リクエストで構成、この他にポプコン出身歌手、バンドをゲストに迎えてのインタビューやトーク、ポプコン本選会のリポートやリクエストランキングなどを特集して放送されていた。なお、歌手、ミュージシャンたちの音楽を大事にしたいという意向で、曲はフルコーラスかけるのが基本だった〔昭和40年男(クレタパブリッシング)2015年12月号 p.20 - 23「僕らとポプコンをつなげてくれた番組 コッキーポップ」〕。 番組名の「cocky(コッキー)」はヤマハの川上源一の発案であったが、本来「気取った」「生意気な」と言ったこの意味を、番組では「時代を先取りしたポップス」としていたという〔。 本番組開始当初は、大石の他にアシスタントとして平野レミも出演、他に『作曲コンクール』時代の審査員でもあった三保敬太郎、村井邦彦、鈴木邦彦の三人の作曲家がローテーションで出演。作詞家の松原史明が構成作家を務めていた〔。 大石のオープニングナレーションは、番組開始当初は「みんなで作って、みんなで歌おう」だったが、後に「黙っていれば友達になれない、叫ばなければ消え去ってしまう。私たちが生まれてきた時から育ててきた何かを伝えあうために、ちぎれかけた世界の心と心を繋ぎ合うために、私たちの歌が今 ここにある」というものに変更され、特徴的なものとなった〔。 当初は月曜日から土曜日までの放送、1972年4月からは金曜日までの放送となり、その3か月後の1972年7月から1976年4月までは、ニッポン放送においては日曜日でも放送が開始され、この期間中は他のネット局でも土曜日に放送がされていた所があった。なお、収録は毎週火曜日に一週間分まとめて行われていた〔。 1986年の9月にポプコンが第32回大会をもって終了したのに合わせ、番組の方も同年10月30日(他のネット局では10月31日)で終了した。 2009年2月22日に『コッキーポップ フォーエバー』と題して2時間20分の生放送を行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コッキーポップ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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