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コリン・モンゴメリー OBE(Colin Montgomerie OBE, 1963年6月23日 - )は、スコットランド・グラスゴー出身で、米国ヒューストン・バプティスト大学にゴルフ留学経験のあるプロゴルファーである。フルネームは ''Colin Stuart Montgomerie OBE'' (コリン・スチュアート・モンゴメリー OBE)という。1993年から1999年まで「7年連続」で欧州PGAツアーの賞金王(賞金ランキング1位)の記録を樹立した。2005年に6年ぶり8度目の欧州PGAツアー賞金王に輝いた。世界ランキング自己最高位は2位(1996年10月)。ゴルフの競技仲間たちやテレビ解説者からは”Monty”(モンティ)と呼ばれている。欧州PGAツアーで通算31勝、他の国際試合では総計9勝を挙げた。アメリカPGAツアーでは1度も優勝がなかったが2014年チャンピオンズツアーでアメリカ開催のツアー競技初優勝を果たした。 ==プロフィール== 1987年にプロ入り。1991年にスウェーデンの「スカンジナビア・マスターズ」でヨーロッパ・ツアー初優勝。それ以来、ヨーロッパのゴルフ界で存在感の大きい選手となる。しかしメジャー大会では通算5度の2位に甘んじている。1994年の全米オープンでは、最終ラウンドを終えた時点でモンゴメリー、アーニー・エルス、ローレン・ロバーツ(アメリカ)の3人が並んでいた。この大会のプレーオフは、最終ラウンドの終了後にもう1日(18ホール)ラウンドする方式を採用しているが、そのプレーオフでモンゴメリーはエルスに敗れた。1995年の全米プロゴルフ選手権では、スティーブ・エルキントン(オーストラリア)との接戦の末に敗れている。 2005年の全英オープンは、伝統のセント・アンドルーズにある「R&Aゴルフクラブ」で行われた。そこでモンゴメリーは久々にメジャー大会の優勝争いに絡んだが、優勝したタイガー・ウッズと5打差の2位に終わった。(優勝したウッズとの第3ラウンドに先立ち、モンゴメリーはウッズについて「ここでのタイガーは(テニスの)ウィンブルドンでのフェデラーのように強いよ」と賞賛を贈った。これは自分がイギリスのヒーロー、ティム・ヘンマンになぞらえられたための比喩である。その8年前の1997年に、モンゴメリーはマスターズの第3ラウンドで、当時21歳の新人選手ウッズに完敗した後、負け惜しみを言ったことがあった。) 2013年にチャンピオンズツアー入りして2014年全米プロシニアゴルフ選手権でシニア初優勝(アメリカ開催のツアー競技初優勝)、全米シニアオープンも制す。2014年ヨーロピアンシニアツアー賞金王に輝いた。 2015年全米プロシニアゴルフ選手権で大会連覇を達成。 アメリカ代表チームとヨーロッパ選抜チームによる団体戦「ライダーカップ」でも1991年・1993年・1995年・1997年・1999年・2002年・2004年・2006年の8大会連続出場、ヨーロッパ選抜チームには不可欠な存在だった。2010年のライダーカップではヨーロッパ選抜チームのキャプテンに就き、チームは大接戦の末優勝した。 2010年1月、ヨーロッパ選抜チームとアジア選抜チームによる団体戦ザ・ロイヤル・トロフィーでも選手兼任キャプテンとしてチームを優勝に導いている。 2013年世界ゴルフ殿堂入り。 日本のトーナメントでプレーした回数も多く、最近では2004年の「カシオワールドオープン」や2005年の「ダンロップ・フェニックス選手権」でプレーした。またヨネックスとクラブ契約していた時期には毎年12月頃に用具調整のため来日した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コリン・モンゴメリー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Colin Montgomerie 」があります。 スポンサード リンク
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