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コンスタンチン・ウラジミロヴィチ : ミニ英和和英辞書
コンスタンチン・ウラジミロヴィチ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


コンスタンチン・ウラジミロヴィチ : ウィキペディア日本語版
コンスタンチン・ウラジミロヴィチ
コンスタンチン・ウラジミロヴィチ(、? - 1241年以降)はプロンスク公ウラジーミルの子である。プロンスク公国分領公。
1217年、兄弟のグレプと謀ってイサドィ諸公会議を開催し、リャザン公国領の諸公らを謀殺した。しかしその翌年にはイングヴァリ(ru)に打ち破られ、ポロヴェツ族の地へと逃亡した。放浪の果てに、1240年にはヴォルィーニ地方に流れつくと、チェルニゴフ公ミハイルの子のロスチスラフが、ダニールヴァシリコ兄弟からガーリチを奪う戦いに助成した。その後ロスチスラフによってペレムィシュリに派遣されたが、ダニールの軍が接近すると逃亡した。以降の消息は不明である。
唯一の子であるエフスタフィーはリトアニア大公国に仕え、ミンダウカスの軍に所属した。
==参考文献==

*Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона(『ブロックハウス・エフロン百科事典』)
*Галицко-Волынская летопись (Ипатьевский список, 13 век)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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