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コンチタ・マルティネス : ウィキペディア日本語版
コンチタ・マルティネス

インマクラーダ・コンセプション・"コンチタ"・マルティネス・ベルナットInmaculada Concepción "Conchita" Martínez Bernat, 1972年4月16日 - )は、スペインアラゴン州ウエスカ県モンソン出身の女子プロテニス選手。1994年ウィンブルドン女子シングルス優勝者である。1歳年上のアランチャ・サンチェス・ビカリオとともに、長年にわたりスペインの女子テニス界をリードしてきた2強豪であった。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス7位。WTAツアーでシングルス33勝、ダブルス13勝を挙げた。身長170cm、体重59kg、右利き。コンチタは、コンセプションの愛称形のコンチャに縮小辞が付いたものである。「マルチネス」の表記揺れも多い。
== 来歴 ==
1988年2月にプロ入りし、すぐに世界的な活躍を始める。1989年全仏オープンに17歳5ヶ月で初優勝したサンチェスに刺激されて、マルティネスもめきめきと頭角を現した。赤土の多いスペインで育った選手らしく、マルティネスも長い間“クレーコート巧者”の印象が強かったが、1994年に芝生のウィンブルドン選手権で初の4大大会決勝進出を果たす。その決勝戦で、マルティネスは同選手権で10勝目を狙ったマルチナ・ナブラチロワを 6-4, 3-6, 6-3 のフルセットで破り、スペインの女子テニス選手として最初のウィンブルドン優勝者になった。当時37歳のナブラチロワはこの大会を「最後のウィンブルドン出場」にすると明言していたが、ここで“有終の美”を飾ることはできなかった。
1995年にマルティネスは世界ランキングを自己最高の2位に上げ、すべての4大大会で準決勝に勝ち残った。通算対戦成績でシュテフィ・グラフに1勝13敗、モニカ・セレシュに1勝20敗と分が悪く準決勝で敗退することが多かった。
1998年全豪オープンで4年ぶり2度目の4大大会決勝進出を果たしたが、当時17歳の最年少女王マルチナ・ヒンギスに 3-6, 3-6 で敗れる。2000年全仏オープンで3度目の4大大会決勝に進出した時は、地元フランスマリー・ピエルスに 2-6, 5-7 で敗れた。マルティネスは2度、4大大会2冠のチャンスを逃したことになる。
サンチェスとマルティネスのコンビは、女子国別対抗戦・フェドカップにて無敵の強さを発揮した。1991年1993年-1995年の3連覇、1998年の5度優勝を飾っている。3連覇を達成した時期は、2人の選手生活の全盛期でもあった。最後の1998年には決勝でスイスジュネーヴに行き、敵地でマルチナ・ヒンギスパティ・シュナイダーのコンビを破って優勝した。
ライバルのサンチェスが2002年に31歳で現役を引退した後、マルティネスは2004年アテネ五輪女子ダブルスで、ビルヒニア・ルアノ・パスクアルとのペアで銀メダルを獲得した。女子ダブルス決勝では、中国ペアの李婷&孫甜甜組に 3-6, 3-6 のストレートで敗れている。2005年度もシングルス1勝とダブルス2勝があったが、2006年4月15日、34歳の誕生日の前日に現役引退を表明した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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