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サディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mika Band)は、日本のロックバンド。 1972年デビュー。1974年発表のアルバム『黒船』は、当時英米でも発売されていた。活動中の1975年にはイギリスでツアーを行っている。解散後もこれまでに3度、ゲストボーカリストを迎えて再結成されている。 バンド名の由来であるが、ジョン・レノンが結成していた「プラスティック・オノ・バンド」をもじったもので、また、ボーカル(初代)のミカの包丁使いがあまりにサディスティックだったことに由来する〔レコード・コレクターズ、2007年1月号(p.60)〕。 == 来歴 == ===結成から解散まで=== 1971年11月、元ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦(ギター、ボーカル)、加藤ミカ(ボーカル)、角田ひろ(ドラムス、現:つのだ☆ひろ)のメンバーで結成される。そこに高中正義(リードギター)が加入し、1972年にシングル「サイクリングブギ」でデビュー。 その後まもなくして角田が自らのバンドを結成する為に脱退する。ドラマーとして大口広司の一時加入を経た後、高橋幸宏が参加、高橋に誘われる形で小原礼(ベース)がメンバーとなる。 1973年、ファーストアルバム『サディスティック・ミカ・バンド』を発表〔ファースト・アルバムにサポート的に参加していた今井裕(キーボード、サックス)は、次作の『黒船』から正式メンバーになる(ちなみに小田和正もファースト・アルバムでサポート・メンバーとしてピアノを弾いていた)。〕。このアルバムは発売当初は数千枚しか売れなかったが、イギリス、特にロンドンで評判となり逆輸入という形で日本でも評価されるようになった。また泉谷しげるのアルバム『光と影』にも「加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド」名義で参加した。 1974年、ファーストアルバムを聴いたイギリスの音楽プロデューサー、クリス・トーマス(当時ビートルズやピンク・フロイドを手掛けたことで有名になっていた)からプロデュースの話があり、セカンドアルバム『黒船』を発表〔幻のセカンドアルバム『駅前旅館』は諸問題により頓挫、後に「お花見ブギ」のみがBest盤に収録され日の目を見る。〕。このレコーディングには実に450時間が費やされた。 その後、小原礼が脱退し、後藤次利がベースとして参加。サードアルバム『ホット!メニュー』〔英ハーヴェスト盤には「オキナワBOOGALOO」の英語ヴァージョンが収録されている。〕をリリース後、1975年には、ロキシーミュージックの全英ツアーにおいてオープニングアクトを務めた(アルバム『Live In London』での今野雄二の解説によると、ロキシーの時間も大幅に食ってしまったとのことである)〔「塀までひとっとび」は1989年及び2007年の再結成ライブの際にも、終盤に演奏された。再結成時の音源は、ライブ盤『晴天』(1989年)、『Live in Tokyo』(2007年)で、解散前のライブでの音源は、『Live in Tokyo』(2007年、曲名は加藤によって書かれたメモにより、「HiHiHi」と表記されている)、『Live In London』(1989年、ミカが本来の英語タイトルである「Suki,Suki,Suki」の名前で紹介している)で聴くことができる。〕。 その後、加藤和彦・ミカの離婚により、1975年11月に解散した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サディスティック・ミカ・バンド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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