翻訳と辞書
Words near each other
・ サハリントンネル
・ サハリンプロジェクト
・ サハリン・コリアン
・ サハリン・ハバロフスク・ウラジオストクパイプライン
・ サハリン・樺太出身者の一覧
・ サハリン国立総合大学
・ サハリン島
・ サハリン州
・ サハリン州郷土博物館
・ サハリン残留朝鮮人
サハリン残留韓国・朝鮮人問題
・ サハリン残留韓国人
・ サハリン湾
・ サハリン航空
・ サハリン近海地震
・ サハリン近海深発地震
・ サハロフ
・ サハロフ (小惑星)
・ サハロフ賞
・ サハロン・シェラハ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

サハリン残留韓国・朝鮮人問題 : ミニ英和和英辞書
サハリン残留韓国・朝鮮人問題[だい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

残留 : [ざんりゅう]
  1. (n,vs) (1) residual 2. residue 3. (2) stay behind 4. stay back 
韓国 : [かんこく]
 【名詞】 1. (South) Korea 
: [くに]
 【名詞】 1. country 
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning
朝鮮 : [ちょうせん]
 【名詞】 1. Korea 
朝鮮人 : [ちょうせんじん]
 (n) a Korean
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1
: [もん]
 【名詞】 1. problem 2. question 
問題 : [もんだい]
 【名詞】 1. problem 2. question 
: [だい]
  1. (n,vs) title 2. subject 3. theme 4. topic 

サハリン残留韓国・朝鮮人問題 ( リダイレクト:在樺コリアン ) : ウィキペディア日本語版
在樺コリアン[ざいかこりあん]
在樺コリアン(ざいかコリアン)とは、太平洋戦争終了後に、ソビエト連邦の武力侵攻・占領・実効支配下に置かれた南樺太サハリン南部)に残留させられたものと戦後に朝鮮民主主義人民共和国から移住したものから構成されている朝鮮民族のことである〔サハリン残留韓国人問題「政治利用こうして始まった」 元支援会会長が指摘 産経新聞 2010/08/15〕。在樺朝鮮人、在樺韓国人、サハリン残留朝鮮人サハリン残留韓国人とも呼ばれる。
== 背景 ==
朝鮮半島日本が統治していた時代に、日本人と同じく日本国籍を持つ朝鮮民族の人々も労働者として南樺太へ出稼ぎや徴用により移住していた〔三木理史『国境の植民地・樺太』(塙書房、2006年)〕(1939 年からの「募集」、1942 年からの「官斡旋」、1944 年からの「徴用」)。第二次世界大戦で日本が敗戦するとソ連が南樺太を占領し、米ソ引揚協定により樺太からの引き揚げ対象者は日本人に限定され、引揚者の選択もソ連当局が行うこととされた〔厚生省援護局編「引揚げと戦後30年の歩み」米ソ引揚協定条項〕。これにより、樺太の日本人は日本領に引き揚げることになったが〔中には帰国できずシベリア抑留された日本人もいる〕、朝鮮人は帰国できず、現地に留まることとなった。ジョン・ステファンは自著『サハリン』(原書房、1973年)の中で「朝鮮人は日本人と同様帰国を希望していた。しかし地元の情勢、国際情勢は彼らの希望を阻んでしまった。ソ連としてはこの朝鮮人の労働力が石炭、パルプ、水産業に重要な役目を果たしていたため、ソ連は如何なる犠牲を払っても事業運営の継統を望んでいたのであった」としている。
樺太に留まった在樺コリアンは、多くが朝鮮半島南部の出身であったが、当時の韓国反共を国是としてソ連と国交を持たなかったために、帰郷は事実上不可能であった〔半谷史郎「サハリン朝鮮人のソ連社会統合―モスクワ共産党文書が語る 1950 年代半ばの一断面―」北海道大学スラブ研究センターロシア史研究会大会(2004年) 〕。一方でソ連の国籍取得や、ソ連と国交のある北朝鮮への帰郷や国籍取得は許されたため、半島南部出身者でも北朝鮮籍となったものも存在する(無国籍状態のままの者も存在していた)。
また、戦後に北朝鮮から樺太に労働力として派遣された者も多く、その一部は定住し、在樺コリアンとなった。人数では1950年代初頭で、日本時代からの「残留在樺コリアン」は約2万7千人、戦後北朝鮮から派遣された「北朝鮮系在樺コリアン」は約1万2千人ほどとなっている〔。
1956年10月には日ソ国交正常化に伴い、ソ連に抑留されていた日本人の引揚げが1957年8月から1959年9月に行われ、日本人妻を持つ朝鮮人夫とその子がサハリンから引揚げたり(日本人妻766人、朝鮮人夫とその子供1541人)、1970年代に数人がソ連出国を許された例外的ケースはあるが、その際もほとんどの在樺コリアンは帰郷することはできず、国境をはさんだ家族・親族の分断状態は続いた〔。
1990年に韓国とソ連(後のロシア)の国交が結ばれたことから、韓国に帰国をするもの、北朝鮮籍または韓国籍で樺太で生きるもの、朝鮮系ロシア人(高麗人)として生きるものなどが存在している。
1989年に放映した『薬師丸ひろ子が見た! サハリン(樺太)縦断1000キロ』では、8月21日の解放記念祭で1万人集まり、そこで今でも日本語が話せる朝鮮人のインタビュー受け答えで『(我々を置いてきて)責任感がなさすぎる』『日本の方々が来たら何よりも懐かしいですね』という発言があった。
日本時代を懐かしんで日本の歌を口ずさみ『いつも日本(時代)のことを思っていた』『日本人とロシア人のすることは全然違うのですよ』と話す日本時代を知る元在樺コリアン(ロストフに移住)も存在している〔民教会スペシャル流転~追放の高麗人と日本のメロディー~ 』(2003年熊本放送)〕。
日本語朝鮮語が話せ、さらにロシア語を習い、トライリンガルになった者もいる。しかしそのような世代は死去し、戦後生まれはロシア語しか話せない世代である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「在樺コリアン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sakhalin Koreans 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.