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サフィーナ : ミニ英和和英辞書
サフィーナ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

サフィーナ ( リダイレクト:ディナラ・サフィナ ) : ウィキペディア日本語版
ディナラ・サフィナ[ちょうおん]

ディナラ・サフィナDinara Safina, または , 1986年4月27日 - )は、ロシアモスクワ出身の女子プロテニス選手。4大大会で2勝を挙げた男子の元世界ランキング1位、マラト・サフィンの妹である。2009年4月20日から世界ランキング1位になり、“兄妹世界1位”を実現させた。
4大大会では2007年全米オープン女子ダブルスでナタリー・ドシーフランス)とペアを組んで優勝したが、シングルスで3度の準優勝がある。2008年北京五輪の女子シングルス銀メダル獲得もある。WTAツアーでシングルス12勝、ダブルスで2007年全米オープンを含む9勝を挙げた。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。身長182cm、体重70kgで、兄とよく似た長身の体格を持つ。
== 来歴 ==
ジュニア時代、2001年ウィンブルドン女子ジュニア部門で準優勝がある。兄のマラトは、前年の2000年全米オープン男子シングルス優勝者となり、ディナラがジュニア準優勝した2001年ウィンブルドン大会ではベスト8に入った。2002年から女子プロテニスツアーに参戦を開始し、同年7月にポーランド・ソポトの大会で早々とツアー初優勝を果たす。同年の全米オープン4大大会にデビューし、2回戦で第1シードのセリーナ・ウィリアムズに挑戦した。2005年は2月の「パリ・インドア選手権」と5月のチェコプラハの大会で年間2勝を挙げた。
2006年全豪オープンでは2回戦敗退に終わったが、女子ツアー大会での上位進出が大幅に増えた。5月にイタリアローマで行われた「イタリア国際選手権」決勝では、当年度からの現役復帰を果たしたマルチナ・ヒンギスに 2-6, 5-7 で敗れた。続く全仏オープンでは4回戦で第4シードのマリア・シャラポワを 7-5, 2-6, 7-5 で破り、初めて4大大会に8強進出を決めたが、準々決勝でスベトラーナ・クズネツォワ(同じくロシアの選手)に 6-7, 0-6 で敗れた。全米オープンではシングルス準々決勝でアメリ・モレスモに 2-6, 3-6 で敗れた後、初めて4大大会ダブルス決勝に勝ち進む。サフィナはカタリナ・スレボトニクスロベニア)とペアを組み、ナタリー・ドシーフランス)&ベラ・ズボナレワロシア)組に 6-7, 5-7 で敗れて準優勝になった。
2007年、サフィナは全米オープンの女子ダブルスで(前年度は決勝でネット越しに戦っていた)ドシーとペアを組み、決勝で台湾ペアの詹詠然&荘佳容組を 6-4, 6-2 で破って優勝した。こうして、ディナラも初めての4大大会タイトルを獲得した。
2008年5月の「カタール・テレコム・ドイツ・オープン」で、サフィナは3回戦でジュスティーヌ・エナンを 5-7, 6-3, 6-1 で破って勝ち進み、決勝で同じロシアのエレーナ・デメンチェワを破って優勝した。全仏オープン4回戦で、サフィナは第1シードのマリア・シャラポワを 6-7, 7-6, 6-2 で破ると、準々決勝でデメンチェワ、準決勝でクズネツォワに勝ち、初めての4大大会シングルス決勝進出を決めた。決勝戦では第2シードのアナ・イバノビッチセルビア)に 4-6, 3-6 で敗れた。8月の北京五輪では第6シードから決勝に進み、デメンチェワに 6-3, 5-7, 3-6 の逆転で敗れて銀メダリストになった。このオリンピック女子シングルスでは、デメンチェワが金メダル、サフィナが銀メダル、ベラ・ズボナレワが銅メダルを獲得したため、3つのメダルをすべてロシア勢が独占した。全米オープンでは、初進出の準決勝でセリーナ・ウィリアムズに敗れた。全米オープン終了後、日本東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントで初優勝を挙げた。
2009年全豪オープンで、サフィナは2度目の4大大会女子シングルス決勝進出を決めた。決勝戦ではセリーナ・ウィリアムズに 0-6, 3-6 のストレートで完敗し、ここでも準優勝に終わった。4月20日付の女子テニス世界ランキングで、サフィナはS・ウィリアムズを抜き、初めて1位になった。兄のマラト2000年秋に男子世界ランキング1位になったことがあり、“兄妹世界1位”を実現させたことになる。全仏オープンでは2年連続2度目の決勝戦に進出したが、同じロシアのスベトラーナ・クズネツォワに 4-6, 2-6 のストレートで敗れ、サフィナは全仏で2年連続・グランドスラムで2大会連続3度目の準優勝に終わった。ウィンブルドンの準決勝では、過去に5度の優勝を誇るビーナス・ウィリアムズに 1-6, 0-6 で完敗した。
2010年全仏オープンクルム伊達公子に 6-3, 4-6, 5-7 で敗れ1回戦敗退を喫した。2011年全豪オープンでは1回戦でキム・クライシュテルスに 0-6, 0-6 で1ゲームも奪えずに敗れた。4月末のマドリード大会2回戦でユリア・ゲルゲスに敗れた試合が最後の出場となり、3年後の2014年5月に正式に現役引退を発表した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ディナラ・サフィナ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Dinara Safina 」があります。




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