翻訳と辞書
Words near each other
・ サフォーク公爵
・ サフォーク大学
・ サフォーク州
・ サフォーク種
・ サフォーク郡
・ サフォーク郡 (ニューヨーク州)
・ サフォーク郡 (マサチューセッツ州)
・ サフォード (アリゾナ州)
・ サフス
・ サフダル・アリー・ハーン
サフダル・ジャング
・ サフダル・ジャング廟
・ サフラ
・ サフラナール
・ サフラニン
・ サフラネク
・ サフラワーかす
・ サフラワーオイル
・ サフラワー油
・ サフラン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

サフダル・ジャング : ウィキペディア日本語版
サフダル・ジャング

サフダル・ジャングヒンディー語:सफ़्दरजंग, ウルドゥー語:صفدرجنگ‎, Safdar Jung, 1708年頃 - 1754年10月5日)は、北インドアワド太守(在位:1739年 - 1754年)。ムガル帝国の宰相(ワズィール)でもある。
==生涯==

===太守位就任まで===
1708年頃、ミールザー・ムキーム・ハーンの息子として、イランホラーサーン地方ニーシャープールに生まれた〔Oudh 5 〕。
同年に叔父のサアーダト・アリー・ハーンはイランからインドに移住し、ムガル帝国の貴族となっていたが、1723年にアブル・マンスール・ハーンもまたインドへと移住し、帝国に仕えるところとなった〔。この当時、イランのサファヴィー朝は極めて政情が不安定であり、ムガル帝国のほうがまだ安定していた。
1724年、アワド太守となっていたサアーダト・アリー・ハーンが任地で独立すると、アブル・マンスール・ハーンはアワドの副太守に任命された〔。
1739年3月19日、叔父であるアワド太守サアーダト・アリー・ハーンがナーディル・シャーによってデリーに監禁されたまま死亡し、息子なくして死亡したため、甥であるアブル・マンスール・ハーンが太守位を継承した〔。その際、彼はナーディル・シャーに対して、2000万ルピーの金を支払わなければならなかった。
とはいえ、アブル・マンスール・ハーンの太守位世襲に関しては帝国の皇帝ムハンマド・シャーにも認められ、「サフダル・ジャング(戦争の虎)」の称号も賜り、これ以降はこの称号で呼ばれるようになった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サフダル・ジャング」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.