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サンシャインシティは、東京都豊島区東池袋三丁目にある、株式会社サンシャインシティが運営する複合商業施設。東京拘置所(巣鴨プリズン)跡地を再開発して建設された。 == 概要 == サンシャインシティは池袋のランドマーク的役割を果たしている。1958年、首都圏整備計画に沿って閣議において東京拘置所の移転が決定されるが、東京都の財政難及び移転先の用地難などから計画の進捗は滞っていた〔『セゾンの歴史 上巻 変革のダイナミズム』P285。〕。その後64年10月の東京オリンピックを控え、池袋の再開発計画も俎上に載り、副都心計画(TKプラン)は、民間事業とした上で児童センターを核として事業を進展させることとなった。そして西武百貨店が実務の中心を担い、事業の具体化が進められた〔。64年1月には、副都心建設を目的とするデベロッパー会社を設立するための発起人会が経済界有志によって結成された。さらに66年度予算において、5ヵ年計画で国庫債務負担を認められ、同年10月、開発母体となる株式会社新都市開発センター(現:サンシャインシティ)が設立された〔『セゾンの歴史 上巻 変革のダイナミズム』P286。〕。新会社設立の際には、堤清二が財界首脳や丸の内の大手企業を訪問し出資を要請したほか、拘置所の移転運動でも堤が軸となり活動を推進した〔『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』P54。〕。また、三菱地所と共に西武流通グループが最大の出資者として名を連ねた〔『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』P56。〕。 73年7月、サンシャインシティは建設を着工するが直後にオイルショックに遭遇し工費が倍増するなど紆余曲折を経ながらも〔、78年4月6日にサンシャイン60が竣工。展望台のオープンとオフィス・テナントの入居を開始、約半年後の10月5日にプリンスホテルを除く全館が竣工しグランドオープン(街開き)を迎えた。 2008年(平成20年)2月から3月にかけ、それまで株式会社サンシャインシティの筆頭株主で持分法適用会社としていた三菱地所が、協業体制を強化する目的でサンシャインシティの株式公開買付け(TOB)を実施。他株主より全発行株数の59.59%を取得した。これによって同年3月25日に三菱地所の連結子会社とされた。また主要株主の一社であった西武鉄道は〔サンシャインシティ主な株主一覧(2003年度) 〕、TOBに応募したため株主を外れている。 超高層ビルとしては展望台の高さ都内一のサンシャイン60を中心に、複数のビルや地下街・専門店街で構成される。オフィスや専門店街を中心とする商業施設、ホテル(プリンスホテル)にとどまらず、水族館、ナンジャタウンやJ-WORLD TOKYOといった屋内型テーマパーク、 プラネタリウム、劇場などのレジャー施設、コンベンションホール、さらにはマンションまで擁する、日本初の複合都市施設である。2007年(平成19年)までの15年間、毎年約3千万人が来場している。 サンシャインシティはサンシャイン60、プリンスホテル、ワールドインポートマート、文化会館、専門店街アルパの5つのエリアに分かれており、エリアごとにシンボルカラーが制定されている。エリアごとのシンボルカラーは、館内の案内表示板や地下駐車場内の駐車位置の目印になる柱番号表示などに使用されている。 キャッチコピーは、「なんか面白いこと、ある。」サンシャイン60開業35周年の2013年上半期には「おかげ様で35周年。」が加わった。 かつてはセゾングループ構成企業が18層を賃借しサンシャイン60に本社を置いていた〔『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』P57。〕。現在もクレディセゾン、ファミリーマートなど一部の旧グループ企業は引き続きサンシャイン60に本社を置く。また、西武ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)は、サンシャインシティに球団事務所を構えていたが、1986年に西武球場(現:西武ドーム)内に移転している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サンシャインシティ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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