翻訳と辞書
Words near each other
・ サンジ
・ サンジェイ・ガプタ
・ サンジェイ・グプタ
・ サンジェイ・グプテイ
・ サンジェイ・ダット
・ サンジェイ・ダット (プロレスラー)
・ サンジェイ・ダット (俳優)
・ サンジェゴ
・ サンジェルマン
・ サンジェルマン (製パン)
サンジェルマン・デ・プレ
・ サンジェルマン伯爵
・ サンジェルマン大通り
・ サンジェルマン条約
・ サンジェルマン通り
・ サンジェルヴェ国際グランプリ
・ サンジカリスム
・ サンジカリズム
・ サンジゲン
・ サンジネート


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

サンジェルマン・デ・プレ : ミニ英和和英辞書
サンジェルマン・デ・プレ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


サンジェルマン・デ・プレ ( リダイレクト:サン=ジェルマン=デ=プレ ) : ウィキペディア日本語版
サン=ジェルマン=デ=プレ

サン=ジェルマン=デ=プレ地区()は、パリの第24番目の行政地区で、6区に所在する地区である。レンヌ通り(:fr:rue de Rennes)の端にあり、地区中心にはこの地区と同名の教会・サン=ジェルマン=デ=プレ教会がある。この地区に住む人々のことを「ジェルマノプラタン」と呼ぶ。
周辺のメトロの駅には、サン=シュルピス駅サン=ジェルマン=デ=プレ駅がある。
== 歴史 ==

メロヴィング朝時代のパリ司教・ジェルマン・ド・パリHistoire de l'église Saint-Germain-des-Prés 〕によって558年頃に奉堂されたサンジェルマン・デ・プレ大修道院を中心に、小集落が少しずつ形成された。サンジェルマン集落が形成されたのは12世紀で、当時は600人程の人々がフィリップ・オーギュスト城壁外に居住していた。
当時の集落は、セーヌ川の左岸、現在の6区と7区にあたる領域を含んでいた。12世紀までこの小教区を管轄していたのはサンピエール教会で、現在その場所にはウクライナのカトリック教会が建っている。1000年頃に石造建築が建設された。その頃は、大修道院が栄華を極め、巨大な知識的影響力を持った時代であった。フール通り(:fr:Rue du Four)の名前は、この当時の大修道院の(フランス語でfour)に由来する。1180年頃、サン=シュルピス教会が管轄の小教区教会となった。
17世紀、知識階級が多くこの地区に集うようになってから、サン=ジェルマン=デ=プレは活気を帯びるようになった。ビュシ通り(:fr:rue de Buci)の「ランデル」〔http://www.terresdecrivains.com/Diderot-le-Parisien〕や、「ル・プロコップ」(現在も営業)といったカフェには、百科全書派の啓蒙思想家や、この地区に居住していたジャン=ポール・マラージョルジュ・ダントンジョゼフ・ギヨタンといった後のフランス革命・政治家らが出入りをしていた。修道院は革命時に破壊された。
1921年から1950年代終盤にかけ、ボナパルト通りとラベイユ通りの交差する角にル・ディヴァン出版社が操業し、スタンダール研究の第一人者、アンリ・マルチノ(:fr:Henri Martineau)により、同名の文学誌『ル・ディヴァン』(:fr:Le Divan)が刊行されていた。
第二次世界大戦後、サン=ジェルマン=デ=プレ地区はパリの知的・文化活動の一大中心地となり、多くの哲学者、著述家、俳優、映画監督、音楽家などの文化人が連日ナイトクラブブラッスリーに集った。その中には、ジャン=ポール・サルトルシモーヌ・ド・ボーヴォワール(両名とも哲学者)、ジュリエット・グレコ俳優歌手)、ジャン=リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォー(両名とも映画監督)、ジャック・プレヴェール(詩人)といった人々がいた。
現在はかつてほどの名声はないが、芸術家たちは好んでこの地区を訪れ、最盛期の雰囲気を今に伝える「レ・ドゥ・マゴ」(:fr:Les Deux Magots)や「カフェ・ドゥ・フロール」(:fr:Café de Flore)といったカフェで時を過ごす。ブラッスリー「リップ」(:fr:Lipp)は、ジャーナリストや著名な俳優達の溜り場となっている。
地区内の建物は17世紀当時の面影を今に残すものの、当時の小売店や書店・出版社は姿をひそめ、現在は主に高級服店となっている。
1961年、シンガーソングライターのギィ・ベアール(:fr:Guy Béart )が『それっきりもう何もない』(Il n'y a plus d'après)〔 chanson "il n'y a plus d'après", paroles et musique de Guy Béart 〕を作り、サン=ジェルマン=デ=プレを歌った。この歌は既述のジュリエット・グレコによってカバーされた。同じくシンガーソングライターのアラン・スション(:fr:Alain Souchon)は、ベアールの歌に描かれた地区の雰囲気は現在なくなってしまったと、自ら作ったシャンソン・『パリ左岸』(Rive gauche à Paris)に自らのノスタルジーを歌った。
1967年にも、シンガーソングライターのレオ・フェレ:fr:Léo Ferré)が『カルチエ・ラタン』(Quartier Latin)の中で、サン=ジェルマン=デ=プレの変わりように対しての失望と無念さを吐露している。
サン=ジェルマン=デ=プレ地区はパリのシンボルの一つであり、多くの映画やテレビドラマの舞台として描かれている(アメリカのテレビドラマゴシップガールでは、高級ホテルの一つであるl'hôtel Bel Amiで起こるシーンが描かれている)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サン=ジェルマン=デ=プレ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.