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サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂 (Basilica di Santa Maria in Trastevere) はイタリアローマのトラステヴェレ地区に現存する聖堂である。その起源を西暦221年に遡る、ローマでも最古級の教会とされる。東面にあるファサードの金モザイクが目をひく。建築様式としてはロマネスクに分類される教会堂である〔。 ローマにおいて聖母マリアに捧げられた教会は本聖堂が初であるとされるが〔、同じくサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂もローマで初とされており、この点についてははっきりしない。 == 歴史 == キリスト誕生前の紀元前38年、のちに聖堂の建つこの場所に突如として油のような液体が噴出し、その噴出が1日中続いたという伝説がある。当時この界隈に住んでいたユダヤ人の間ではメシア到来の兆し、などと騒ぎになったという。もっともこの「メシア=キリスト」を示唆するエピソードはあくまでも伝説の類の話であり、実際の聖堂の縁起は次のようであった。 当初の教会は現在地の近所にあった、教会と言うより民家を改造しただけの造作に過ぎなかった。その後、現在の場所に4世紀中ごろに聖堂が建設された。もっともこの聖堂も410年のゴート族によるローマ劫掠で被災してしまい、のちに立て替えた際にはじめて聖母マリア(サンタ・マリア)に捧げられた。その後もたびたび改修されたが、やがて放置されるようになってしまっていたものを、12世紀半ばにインノケンティウス2世によって今も残る聖堂として、ファサードのモザイクと鐘塔も込みで改築された。〔 その後は13世紀に後陣円蓋のモザイクが作成され、16世紀には格天井、17世紀には後陣下段のフレスコ画と、長い年月の果てに聖堂は整えられていった。身廊部分の床装飾と、ファサードのモザイクの上下に見られるフレスコ画(1世紀以上の風雨により薄くなってしまっている)は19世紀に整備されたものである。〔 現代では、ローマにおける聖母に捧げられた教会のうちでも最も重要と評される聖堂のひとつに位置づけられている〔前掲 。他にサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂、サンタ・マリア・アンティークァ聖堂、サンタ・マリア・アド・マルティレス聖堂が挙げられている。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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