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サンツアー(Suntour〔日本においてCIが重要視される以前については、ロゴ等の表記は一定していない。〕)は自転車部品のブランドのひとつである。 == サンツアーブランド == サンツアーブランドは、昭和20年代末、東京の岩井製作所が発売した外装3段のサンツアー変速装置に始まる。同所の専門はネジであったが、社長岩井経一の発案から生まれたもので、レース車用を別としてツーリング車用としては初の国産量産製品であった〔『銀輪讃歌』 p. 75〕。岩井製作所はリアディレイラーとレバーを作ったが、対応する多段スプロケットとフリーホイールを求めており、1954年(昭和29年)の半ばに堺の前田鉄工所(詳細は#マエダ工業の節を参照)と接触する〔『銀輪讃歌』 p. 76〕。岩井と前田は共同して開発と製品化を推め、それぞれの地元である関東と関西に、リア3段変速の「サンツアー・エイト」を売り出した〔『銀輪讃歌』 p. 76〕(この時期には他に「8.8.8 サンツアーワイド」等といった製品もある)。 1957年(昭和32年)末に岩井製作所の経営がゆきづまり、その後倒産したため、前田鉄工所がリアディレイラーとサンツアーブランドを引き継いだ。2014年現在において、自転車部品についてサンツアーと言った場合、この前田鉄工所・マエダ工業のブランドを指すことがもっぱらである。前田はその後、わずかな競走車以外は実用車がほぼ全てであった日本輪界へのスポーツ車の普及、海外市場への進出、日本型ミニサイクルの創出など幅広く発展し、サンツアーブランドもそれにともなった。 1970年代になるとシマノ・カンパニョーロは、自転車の主要部品全てをセットとして開発・供給する、ということを始めた(シマノの呼び方ではコンポーネント)。コンポーネントにより総合的なチューニングが可能になるといった技術上の利点が強調されるが、実際上の利点としては、複数パーツメーカーと個別に取引することなく、シマノとの取引のみで済むという点が自転車メーカーへの魅力となった。 前田をはじめ他の部品メーカーは、「サンツアー」を共通ブランドとし、コンポーネント相当として対抗した。輸出においては、協力関係にあったメーカー各社はパーツに「サンツアー」マークを付して前田に供給し、前田でこれをコンポーネントとして輸出した。パーツメーカーとその製品として、栄輪業、杉野鉄工(現スギノテクノ)のクランク、吉貝機械金属のブレーキやヘッドパーツ、三ヶ島製作所のペダルなどがあった。中には「MK-3」ペダルのように「三ヶ島」刻印の上に「サンツアー」ブランドステッカーが貼られていた、というようなものもあった。 1990年代のマエダ工業の経営危機により、その後のサンツアーブランドは自転車部品業界をさまようこととなった。2014年現在、栄輪業の略称「SR」とつなげた「SRサンツアー」が、台湾の榮輪科技股份有限公司のブランドとして使われているが、マエダ時代の主力パーツであったディレイラーなどは継承されていない。サンツアーの正三角形に波線が2本入ったロゴは、マエダのOBによって設立された株式会社ジョイジャパンが使用しており、同社は2014年現在SunXCD(サンエクシード)というブランドで、自転車部品を供給している〔http://joy-japan.com/parts.html〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サンツアー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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