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サンディ・デニー(Sandy Denny、1947年1月6日 - 1978年4月21日)は、イギリスのフォーク歌手。本名はアレクサンドラ・エレーヌ・マクリーン・デニー(Alexandra Elene MacLean Denny)である。 == 人物・来歴 == 1947年1月6日、ロンドン、ウィンブルドン生まれ。本名にスコットランド姓の MacLean が入っていることが示すように父方はスコットランド人の血筋である。父方の祖母メアリー・スミス・マクリーン(Mary Smith McLean) はスコットランド出身でバラッドの語り手だった。 中学を卒業したデニーは技術学校(Art school)のひとつであるキングストン美術学校(Kingston School of Art)に入学する。同学年かどうかは分かっていないが、ペンタングルのジョン・レンボーン、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジ、ザ・フーのピート・タウンゼント等が同時に在籍していた。 1965年ごろからロンドンのフォーク・クラブで歌い始める。このころにジャクソン・C・フランク(Jackson C. Frank)と知り合いギターの手ほどきを受ける。エレクトラ・レコードのイギリス事務所に派遣されて、ジ・インクレディブル・ストリングス・バンド(The Incredible String Band) とピンク・フロイドのプロデュースとマネージメントをしながらフォーク・クラブでライヴのプロデュースをしていたジョー・ボイド(Joe Boyd)と出会ったのもこの頃である。 1967年2月にはザ・ストローブス(:en:StrawbscThe Strawbs)の前身ザ・ストロベリー・ヒル・ボーイズにもヴォーカリストとして参加し、5月にデンマークでの録音に参加し、ザ・ストローブスの持ち歌以外に "Who knows where the time goes?" を録音する。このテイプは、ジョー・ボイドからジュディ・コリンズ(Judy Collins)の手に渡り、ジュディ・コリンズはこの曲をカヴァーしただけでなく、1968年11月に発売した7枚目のLPのタイトルにした。 1968年5月にはジュディ・ダイブルの後任としてフェアポート・コンヴェンションに参加し、3枚のLPを録音するが、1969年11月に脱退する。 1970年にはフォザリンゲイを結成するが、資金的な行き詰まりからLP1枚を残して解散する。 解散後は、技術学校で同窓だったペイジのレッド・ツェッペリンの『レッド・ツェッペリン IV』 (LP/1971) やタウンゼントの『The London Symphony Orchestra and Chambre Choir with Guest Soloists / Tommy』 (2LP/1972) にゲスト出演する。 ソロ活動のあいだ3枚のLPを発表した後、1973年から1974年に掛けてのフェアポート・コンヴェンションの世界ツアーに同行し、東京でも公演を行なう。公演後にフェアポート・コンヴェンションに復帰するが、LPの録音後にプロデューサーと意見が合わず再び脱退する。 脱退後は、ソロLP1枚を録音したが、1978年4月17日に友人宅で階段を踏み外し4日後の4月21日にオーストラリアから急遽帰国した夫のトレヴァー・ルーカス (Trevor Lucas) たちに見守られるなか31歳で亡くなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サンディ・デニー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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