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サンドリッジ(、1898年 - 1923年)は、イギリスのサラブレッドの競走馬、および種牡馬である。現役時代はスプリンターとして名を馳せ、種牡馬としても1911年にイギリスリーディングサイアーに輝くなど活躍した。 == 経歴 == === 若駒時代 === 母馬シエラを所有していたサミュエル・スコット卿の牧場で生産されたサラブレッドである。同氏の所有のもとで競走馬として登録されたが、デビューする段となった2歳の夏ごろに腰を悪くし、それの治療のため3か月が費やされた。実際にデビューしたのはその年の競馬開催も終わり際の10月24日に行われたセーリング競走(クレーミング競走)で、ここは着外に終わっている。 翌年となる1901年、3歳時はクラシック路線には登録されず、古馬との対戦を含む短距離戦を中心に使われていった。その年の初戦は5月1日、ニューマーケット競馬場で行われていた5ハロン戦(約1006メートル)のヒースハイウェイトハンデキャップで、古馬が相手ながらも104ポンド(約47.2キログラム)という軽ハンデを活かして初勝利を手にした。それから間もなくの5月9日に登録されたチェスター伯爵ウェルターハンデキャップでは、前走とは打って変わって127ポンド(約57.6キログラム)と重めのハンデを課せられることになったが、114ポンドを背負ったシルバーハンプトンという馬を3馬身差の2着に抑えて連勝を飾った。 以後も短距離戦において結果を残していった。エプソム競馬場で行われたロイヤルステークスでは5歳馬マスターワイリーに敗れたが、翌戦ジュライハンデキャップ(6ハロン・約1207メートル)ではふたたび与えられた104ポンドという軽ハンデにも恵まれて勝利し、その次ポートランドプレート(ドンカスター競馬場・5ハロン)では同父のデュードネに4分の3馬身差の2着に入っている。 一方、この年短距離戦以外にも10ハロン超の競走にも挑戦しているが、プリンスエドワードハンデキャップ・リッチモンドプレート・クロックステスプレートの3競走でいずれも着外に沈む結果であった。11月にはふたたび短距離に路線変更し、5ハロン戦のチャッツワースプレートで勝ちを挙げている。サンドリッジの3歳時はこれで幕を閉じた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サンドリッジ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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