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ザ・カンガルーズ : ミニ英和和英辞書
ザ・カンガルーズ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ザ・カンガルーズ ( リダイレクト:ファビュラス・カンガルーズ ) : ウィキペディア日本語版
ファビュラス・カンガルーズ[ちょうおん]
ザ・ファビュラス・カンガルーズThe Fabulous Kangaroos)は、プロレスタッグチーム。ブッシュハットを被りブーメランを手に持ったオーストラリア出身のヒールとして、NWAWWWFなど北米の主要テリトリーで活躍した。
歴代のメンバーによって1950年代後半から1980年代前半にかけて活動したが、本項では初代のアル・コステロ&ロイ・ヘファーナン、および便宜上2代目のカンガルーズとされるアル・コステロ&ドン・ケントのコンビを中心に記述する。
なお、1974年2月に新日本プロレス1976年1月に全日本プロレスに来日したザ・ロイヤル・カンガルーズ(ロード・ジョナサン・ボイド&ノーマン・フレデリック・チャールズ3世)はコピー版の別チームである。
== 来歴 ==

=== 初代カンガルーズ ===
オーストラリア南東部ニューサウスウェールズ出身のロイ・ヘファーナンと、少年期にイタリアからオーストラリアへ移住してきたアル・コステロにより、1957年カナダカルガリー地区(スチュ・ハート主宰のスタンピード・レスリング)にて結成される。その後トロント地区を経て、1958年よりWWWFの前身団体であるアメリカ北東部のキャピトル・レスリング・コーポレーションに進出、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンを舞台にアントニオ・ロッカ&ミゲル・ペレスと抗争を展開した〔。
1958年下期からは南西部テキサス地区に参戦。11月にフォートワースにてペッパー・ゴメス&エル・メディコを破りテキサス東部版のNWA世界タッグ王座を獲得、チームとしての初戴冠を果たす。1959年1月12日にはニューメキシコにてミゲル・ロペス&フアン・ガルシアからNWAロッキー・マウンテン・タッグ王座を奪取。同年3月5日にはアマリロにてテキサス西部版インターナショナル・タッグ王座の初代王者チームに認定されたが、このタイトルは、後年に日本に定着したインターナショナル・タッグ王座のルーツともされている。
1960年よりニューヨーク地区に戻り、7月21日と8月24日にレッド・バスチェン&ルー・バスチェンから北東部版のUSタッグ王座を奪取。11月28日にもジョニー・バレンタイン&チーフ・ビッグ・ハートを破って同王座を獲得し、1962年1月11日にバレンタイン&カウボーイ・ボブ・エリスに敗れるまで、アントニオ・ロッカ&アルゼンチン・アポロバディ・ロジャース&ボブ・オートンブルーノ・サンマルチノ&ヘイスタック・カルホーンアート・トーマス&スウィート・ダディ・シキなどのチームを相手に長期政権を築いた〔。1963年に発足したWWWFにも出場を続け、ブルーノ・サンマルチノ、ボボ・ブラジルエドワード・カーペンティアペドロ・モラレスらによるチームや、同じヒール陣営のスカル・マーフィー&ブルート・バーナードとも対戦している。
他地区においても、1962年11月22日に南部CWFにてフロリダ版のNWA世界タッグ王座を獲得。西海岸ではロサンゼルスWWAにて、1964年2月27日にエドワード・カーペンティア&アーニー・ラッドからWWA世界タッグ王座を奪取。カナダのバンクーバーでは1964年5月25日にエンリケ・トーレス&ベアキャット・ライト1965年2月1日にドン・レオ・ジョナサン&ジン・キニスキーを破り、NWAカナディアン・タッグ王座を再三獲得。1965年3月26日にはウィニペグにてドン・レオ・ジョナサン&ホイッパー・ビリー・ワトソンを下してマニトバ版のインターナショナル・タッグ王座にも戴冠するなど、各地のタッグ戦線を席巻した〔。
しかし、1965年6月26日にジョナサン&ジム・ヘイディに敗れインターナショナル・タッグ王座から陥落した後、同年7月5日のバンクーバーでの試合を最後にヘファーナンがオーストラリアに帰国〔『Gスピリッツ Vol.21』P79(2011年、辰巳出版、ISBN 4777809463)〕、ファビュラス・カンガルーズは一旦解散することとなった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ファビュラス・カンガルーズ」の詳細全文を読む




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