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シェール・シング : ミニ英和和英辞書
シェール・シング[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

シェール・シング : ウィキペディア日本語版
シェール・シング[ちょうおん]

シェール・シング英語:Sher Singh, 1807年12月4日 - 1843年9月15日)は、北インドパンジャーブ地方シク王国の君主(在位:1841年 - 1843年)。
==生涯==
1807年12月4日シク王国の君主であるランジート・シングの息子として生まれた〔Lahore 4 〕。このとき、双子の弟としてターラー・シングも生まれている〔Lahore 4 〕。
1840年11月6日、シク王ナーウ・ニハール・シングが死亡した際、シェール・シングが王に推挙された〔Lahore 4 〕。だが、ナーウ・ニハール・シングの未亡人サーヒブ・カウルが妊娠していたことで、12月2日にナーウ・ニハール・シングの母チャーンド・カウルが摂政として王国を統治することを宣した〔Dhian Singh
1841年1月13日、シェール・シングは歩兵2万5000、騎兵8000、大砲45門をもって、チャーンド・カウルとその兵5000をラホールに包囲した〔 Maharaja Sher Singh (1807 - 1843) 〕。
かくして、1月18日に両者の間で停戦が取り決められ、シェール・シングが王となり〔Lahore 4 〕、チャーンド・カウルは9万ルピーの年金とともに宮殿で年金生活者となった〔Sher Singh, Maharaja 〕。
1843年9月15日、シェール・シングは宰相ディヤーン・シングとともに、その従兄弟アジート・シング・サンダンワリアーによって暗殺された〔Lahore 4 〕。
新たに宰相となったジャワーハル・シングは直ちにこの反乱を鎮圧したものの、ランジート・シングの死後に続く一連の内乱で軍隊のカールサーが台頭し、9月21日に彼を殺害したのち、シェール・シングの弟ドゥリープ・シングを王とした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シェール・シング」の詳細全文を読む




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