翻訳と辞書
Words near each other
・ シキリア属州
・ シキーニャ・ゴンザーガ
・ シギ
・ シギ (歌手)
・ シギアブ
・ シギアブ科
・ シギウナギ
・ シギウナギ科
・ シギサワカヤ
・ シギショアラ
シギショアラ歴史地区
・ シギスムント
・ シギスムント (スウェーデン王)
・ シギスムント・ストヨフスキ
・ シギスムンド
・ シギスワルド・クイケン
・ シギスヴァルト・クイケン
・ シギスヴァルド・クイケン
・ シギズムント・レヴァネフスキー
・ シギダチョウ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

シギショアラ歴史地区 : ミニ英和和英辞書
シギショアラ歴史地区[しぎしょあられきしちく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

歴史 : [れきし]
 【名詞】 1. history 
: [ち]
  1. (n,n-suf) earth 
地区 : [ちく]
 【名詞】 1. district 2. section 3. sector 
: [く]
 【名詞】 1. ward 2. district 3. section 

シギショアラ歴史地区 : ウィキペディア日本語版
シギショアラ歴史地区[しぎしょあられきしちく]

シギショアラ歴史地区は、ルーマニアの世界遺産の一つである。ルーマニアムレシュ県の都市シギショアラ(ドイツ語名:シェースブルク)のうち、トランシルヴァニア・ザクセン人によって12世紀以降に建造されたシタデルの区域に該当する。かつてラテン語カストゥルム・セクス (Castrum Sex) と呼ばれたシギショアラの歴史地区は、現在もなお人々が暮らす中世城塞都市であり、「ルーマニアの宝石」〔NHK世界遺産 | 世界遺産ライブラリー - シギショアラ歴史地区 〕とも称えられるその美しい街並みは、トランシルヴァニア・ザクセン人の850年に及ぶ歴史と文化の例証として、1999年ユネスコ世界遺産に登録された。
== 歴史 ==

トランシルヴァニア地方は11世紀にハンガリー領となった。12世紀から13世紀には歴代ハンガリー王の方針で、辺境の防衛を兼ねてドイツ系の職人や商人たちがこの地に入植していった〔ICOMOS (1999) p.156〕。彼らの出身地には、ザクセン地方だけでなくルクセンブルクフランドルなども含まれていたが、文書の上では一律「サシ」(Saşi, ザクセン人)と記された〔ジョルジュ・カステラン (1993) 『ルーマニア史』 萩原直 訳、白水社文庫クセジュ〉、p.12〕。シギショアラも1191年に彼らトランシルヴァニア・ザクセン人によって築かれた都市である〔日本ユネスコ協会連盟 (2001) p.32〕〔世界遺産アカデミー (2006) p.250〕。
標高425mの小高い丘の上に築かれた防塞は1241年モンゴル帝国の侵攻を踏まえて順次増強され、14世紀にかけて見張り塔と防壁が整えられた〔。シギショアラはトランシルヴァニア・ザクセン人たちが築いた7つの要塞都市のひとつで、古称にあたるラテン語名「カストルム・セクス」は「第6要塞」の意味である。
見張り塔の建設などに責任を負ったのは商工業者のギルドで〔、後述するように今も塔には当時のギルドの名前が冠されている〔世界遺産アカデミー (2009) pp.202-203〕。シギショアラは強力なギルドの下で繁栄し、1367年には自治都市となった〔〔。
15世紀から16世紀にかけてさらに都市は繁栄したが〔青柳 (2003) p.350〕、この時期はオスマン帝国の脅威にさらされていた時期でもある。その結果、丘の上の城塞にとどまらず、丘の下にあった教会の周囲にも防衛施設が整えられ、下町の基礎が出来た〔。
17世紀以降は、ペスト流行、3度の大火(1676年、1736年、1788年)、洪水(1771年)、地震(1838年)と相次ぐ災害に見舞われ、人口の減少や建物の損壊を蒙った〔。ことに、1676年の大火は6時間にわたって歴史的建築群を焼き尽くし、都市の約75%を焼失させたとされている〔 Ministère de la Culture, Roumanie (1998) p.21〕。さらに1840年にギルドが特権を失ったことで、都市はかつてほどの勢いは失った〔〔。
その後、下町は商工業地区、山の手は行政地区という棲み分けが行なわれるようになったが、その開発の中で下町の防壁は取り壊された〔。山の手の防衛施設も無傷とはいかず、かつては14基あったギルド塔のうち、現存するのは9基である〔ICOMOS (1999) p.157〕。
それでも、シギショアラの保存状態は十分に良好なものであると評価されている。それというのは、タタール人やオスマン帝国の侵攻に備えた防衛拠点として、トランシルヴァニア地方に残る要塞聖堂が比較的良好に残っているのに対し、城塞都市にはあまり良好な形で残っているものがないためである〔。シギショアラはトランシルヴァニア・ザクセン人たちが入植して作られた地域 (the Land of Saschen) の北限に当たっている。同種のより大きな都市であるシビウ〔シビウは2007年の欧州文化首都で、その歴史地区は2004年にルーマニアの世界遺産暫定リストに登載された。〕やブラショフも、シギショアラと同じように中世ドイツの典型的な建築様式が残されているが、保存されている要素の多さで大きな隔たりがある。トランシルヴァニア・ザクセン人が築いた中世城塞都市のうち、シビウに残っているのは約30%、ブラショフも約45%にとどまるのに対し、シギショアラは実に90%が残っていると見積もられている〔 Ministère de la Culture, Roumanie (1998) p.4〕。
共産主義政権下においては特段の保護政策がとられることはなかったが、1990年代以降、本格的な景観保存が検討されるようになった〔ICOMOS (1999) p.158〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シギショアラ歴史地区」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.