翻訳と辞書
Words near each other
・ シャルトル・ノートルダム大聖堂
・ シャルトルーズ
・ シャルトルーズオレンジ
・ シャルトルーズトニック
・ シャルトルーズ・オレンジ
・ シャルトルーズ・トニック
・ シャルトルーズ・ド・シャンモル修道院
・ シャルトルーズ会
・ シャルトル公爵の愉しみ
・ シャルトル大聖堂
シャルトル学派
・ シャルトル聖パウロ修道女会
・ シャルト・カプリー
・ シャルト・カプレイ
・ シャルト・コプリー
・ シャルト・コプレイ
・ シャルト・ポルスキー
・ シャルドネ
・ シャルドネ (ブドウ)
・ シャルドネ (曖昧さ回避)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

シャルトル学派 : ミニ英和和英辞書
シャルトル学派[しゃるとるがくは]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
学派 : [がくは]
 【名詞】 1. school 2. sect
: [は]
  1. (n,n-suf) clique 2. faction 3. school 

シャルトル学派 : ウィキペディア日本語版
シャルトル学派[しゃるとるがくは]
シャルトル学派はフランスのシャルトル大聖堂附属学校で活躍したベルナール(en)を中心とした思想家たちを指す。プラトン哲学やアラビアの自然科学の成果を統合した。
シャルトル大聖堂附属学校の起源は5世紀に遡るが、10世紀、オーリヤックのジェルベールの弟子がシャルトル大聖堂附属学校に赴いて学問を伝え、医学神学が盛んになった。ジェルベールは後の教皇シルウェステル2世で、アラビアの科学を修めた学者であった。
その後、シャルトルのベルナール(ベルナルトゥス Bernardus Carnotensis、1126没)が現われ、12世紀にはベルナールを中心に学問が隆盛し、当時の学問の中心地パリをしのぐほどになったと言われる。
シャルトル学派は古代の自由学芸(リベラル・アーツ artes liberale 文法、論理学、修辞学、算術、幾何、天文、音楽の7科目)を復興した。三学(文法、論理学、修辞学)は文献研究であり、後の四学は自然現象に対する考察である。
ベルナールは古典古代の学問を巨人に喩え、自分たちは小さな者であるが、巨人の肩に乗ることで巨人よりも多くのもの、遠くのものを見ることができると述べた。また、ベルナールの弟ティエリ:en:Thierry of Chartresはプラトンの「ティマイオス」を元に聖書の創世記を科学的に(奇跡ではなく、因果関係として)解釈しようと試みた。
シャルトル学派という呼び方は19世紀の研究者によるもので、やがて「12世紀ルネサンス」の中心として注目されるようになった。しかし、シャルトルで学派と呼べるほど人材が輩出したかどうかには異論もある。(ベルナールは確かにシャルトルで活動したが、ティエリの活動はパリが中心であったという)
== 邦訳書 ==

*『中世思想原典集成8 シャルトル学派』(平凡社)
:詩集(シャルトルのベルナルドゥス)
:プラトン註釈(同上)
:ボエティウス デ・ヘブドマディブス註解(ギルベルトゥス・ポレタヌス)
:宇宙の哲学(コンシュのギヨーム)
:プラトン・ティマイオス逐語註釈(同上)
:六日の業に関する論考(シャルトルのティエリ)
:ヘプタテウコン 七自由学芸の書(同上)
:コスモグラフィア 世界形状誌(ベルナルドゥス・シルヴェストリス)
:メタロギコン(ソールズベリーのヨハネス)
:創世記についての小論考(アラスのクラレンバルドゥス)
:アンティクラウディアヌス(アラヌス・アブ・インスリス)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シャルトル学派」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.