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譙縦(しょう しょう)は五胡十六国時代の後蜀の創始者。 == 生涯 == 巴西南充(現在の四川省南部県)の人。義熙元年(405年)、東晋の益州刺史毛璩は麾下の軍隊に東征を命じたが、蜀の軍隊は郷里を離れることを望まず、反乱を起こした。当時安西府参軍の地位にあった譙縦が軍に推されて梁・秦二州の刺史を称した。まもなく反乱軍が毛璩を殺して成都を占領すると、譙縦は成都王を称した。義熙3年(407年)、譙縦は後ろ盾を求めて自ら後秦に藩属した。弘始11年(409年)には文桓帝姚興から大都督・相国・蜀王に封じられ、九錫を加えられた。弘始15年(413年)、東晋の太尉劉裕が朱齢石を討伐軍の主将に任じて後蜀を攻撃させ、成都は陥落し、譙縦は自殺した。後蜀はここに滅んだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ショウ縦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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