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ショパン国際ピアノ・コンクール(ショパンこくさいピアノコンクール、波:Międzynarodowy Konkurs Pianistyczny im. Fryderyka Chopina)は、ポーランドの生んだ作曲家兼ピアニストのフレデリック・ショパンを記念したピアノ演奏のコンクールで、正式名称はフレデリック・ショパン国際ピアノ・コンクールである。 1927年に第1回が開催された。現在世界的に最も権威あるコンクールの一つと言われ、ピアニストを目指す者にとっては最高の登竜門と見なされている。エリザベート王妃国際音楽コンクール、チャイコフスキー国際コンクール、そして本コンクールを合わせて世界三大コンクールと称される。 == 概要 == ショパンの故郷であるポーランドの首都ワルシャワで5年に1回、ショパンの命日である10月17日の前後3週間にわたって開催される。ショパンは、第一次世界大戦で解放されるまで他国によって虐げられたポーランド人の誇りである。大戦後ポーランド人は、ショパンの名を冠した国際ピアノコンクールを、ショパンの命日を中心とした期間に開催することにした。コンクール出場資格は16歳以上30歳以下の年齢制限がある。 現在、国際音楽コンクールは数多く開催されているが、このショパン国際ピアノコンクールは現在も続く国際音楽コンクールの中では最古のものである。過去の入賞者には世界の巨匠が名を連ねる。第二次世界大戦中に開催の中断があった。課題曲は、いずれのステージ(予選や本選)においてもすべてショパンの作品のみの演奏が義務付けられている。 1955年の第5回コンクールまでの優勝者は、ポーランドかソ連の出身者によって占められていた。しかし1960年の第6回コンクールでイタリア出身のマウリツィオ・ポリーニが圧倒的実力で審査員全員一致の優勝。西側諸国出身者の優勝者が出るようになったのは、これ以降の事。現在のクラシックのピアニストの世界で頂点に立つ才能を世に送り出している。1990年の第12回と1995年の第13回では2回続いて第1位優勝者が輩出されないという状況となったが、2000年の第14回に中国のユンディ・リが15年ぶりに優勝した。 2005年の第15回コンクールの模様はインターネットで全世界に配信された。この回、初の試みとして書類選考を通過した参加者全員をワルシャワへ呼び集め、テープやビデオ審査ではない生演奏による「予備審査」が導入されたが、2つの会場で同時にコンクール予備審査が行われるという審査方法は問題となった。公式日程のほか、市民が気に入ったピアニストを(たとえ予選で落ちた者でも)私的に囲んで演奏会を催したり、期間中遠方からの参加者がピアノを貸してくれる市民宅に逗留したりするなどのイベントが開催されている。 コンクールではピアニスト名と共にピアノメーカー名も国立ワルシャワフィルハーモニーホール会場内で紹介される。2015年の第17回のショパン国際ピアノコンクール採用のスタインウェイ・アンド・サンズ、ヤマハ、カワイ、ファツィオリのピアノメーカー4社と各社ピアノ調律師が、コンクール出場ピアニストに採用されるビジネスチャンスとしての競争、1次から3次の予選ではピアノ・ソロで採用していたピアノを本選のピアノ・コンチェルトでは別のピアノに乗り換え、乗り換えが吉となるか凶となるかが、NHKBS1スペシャル「もうひとつのショパンコンクール~ピアノ調律師たちの闘い」(NHKオンデマンドで視聴可能)として紹介されていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ショパン国際ピアノコンクール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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