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シラクサの涙の聖母像(シラクサのなみだのせいぼぞう、)とは、1953年8月29日にイタリアのシラクサの一般家庭に飾られてあった聖母の像から涙が流れ、その涙で奇蹟的な病気の治癒が起こった。この涙を流した聖母像を言う。この涙は聖遺物とされている〔Roman Catholic Saint Our Lady of Tears〕。 ==聖母の涙== ===発端=== この涙を流したのは、壁掛け用の「聖母の穢れなき聖心」の石膏像で、イタリア・トスカーナ州の工場での大量生産されたものであり、特別なものではなく、世界中に輸出され、出回っているもので、1953年3月21日に結婚する2人のために、結婚祝いとして購入された。贈られたアンジェロとアントニーナは自分たちが信仰深くなかったと認めている。しかし、彼らはこの像が好きで、それを彼らのベッドの向こうの壁に置いた。アントニーナはすぐに妊娠した。この妊娠によって、アントニーナは毒血症にかかり、頻繁な痙攣とさらに一時的な盲目にかかった〔。 1953年8月29日、アントニーナは視力が回復したことを知り、目を開けた。アントニーナが目を開けてがベットの枕元の上の聖母像をじっと見つめていると聖母像が泣いていたので、驚いてしまい、義理の姉妹と私の叔母を呼び、彼女らにその涙を見せた。当初は彼女らはアントニーナの病気の幻覚と考えたが、彼女らもその像をじっと見ていると、聖母像の眼から涙が落ちるのを実際に見ることができた。そしていくつもの涙が聖母像の頬を伝わってベッドの枕元におちた。彼女らはその像を外に持ち出すのを怖れ、電話で隣人たちを呼び出し、この現象を確かめた〔。 この像は4日間、予想外に大量の涙を流した。この像を綿密に調査したいという大勢の大ぜいの訪問客の一人に、マリオ・メッシーナがいた。彼は近所では高く評価されていた人物であった。涙ができる速度がゆっくりであることを確認すると、彼はその像を壁から外した。その像を見て、涙のたまる仕掛けがないことを確認して満足した〔The Weeping Madonna of Syracuse〕。 像が乾いた後、2粒の涙がまた現れた。この話はあっという間に街中に広がり、家の周りに群衆が詰めかけた。それを見たいという人々の好奇心を満たすため、2人の許可を得て、この像は家の外の安全な場所にかけられた〔。 しかし、混乱状態となってしまったので、警察がこの像を持って行ってしまった。その上は建物の外でも運ばれている途中も涙を流し続けた。40分後には涙が流れるのが止まった。その像は持ち主の夫婦に返された〔。 8月30日の日曜日午前2時の朝にその像はクッションの上に置かれて、好奇心の強い者は通りで夜通し中その像を眺めていた。その像は月曜日に表の中央玄関の扉の上にかけられ、その涙は人々によって布きれや綿などで集められた。この間、懐疑論者はたくさんの病気が治っていることを確信した。同日の月曜日にこの像が落ちることを防ぐため、向かいの家に住んでいたルッカ家の祭壇に安置された。それはロザリオの祈りが終わった後に返された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シラクサの涙の聖母像」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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