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スコット・シーボル(Scott Anthony Seabol , 1975年5月17日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州出身の元プロ野球選手(内野手)。~まで広島東洋カープに所属した。 == 来歴・人物 == 、ヤンキースからドラフト88巡目で指名され契約。4月8日に代打でメジャーデビューし、ジェイソン・マクスウェル(1993年カブス74巡目)の記録を更新する史上最も低いドラフト順位のメジャーリーガーとなった(わずか11日後の同年4月19日にトラヴィス・フェルプス(1997年デビルレイズ89巡目)が更新)。ヤンキースでのメジャー出場はこの1打席(セカンドフライ)のみに終わった。、ヤンキース傘下1A時代に、マイナーリーグ史上4位の35試合連続安打を記録している。 オフにブルワーズ、途中にカージナルスに移籍し、には3Aで打率.304、31本塁打を記録。に4年ぶりにメジャー出場を果たしたが代打出場が中心で、59試合で打率.219、1本塁打、10打点に終わった。 2006年からマーリンズ傘下3Aアルバカーキでプレーし、シーズン途中に韓国プロ野球の起亜タイガースに入団(チームメイトにセス・グライシンガーがいた)。しかし起亜では48試合で打率.163、6本塁打、14打点に終わり同年退団した。また、起亜での登録名はファーストネームの「スコット」だった。 のスプリングトレーニングにはマーリンズに招待選手として参加し、西武からレッドソックスに移籍した松坂大輔の登板試合に8番三塁で出場して、松坂から見逃し三振を喫している(この試合はスプリングトレーニングながら、移籍をめぐって注目された松坂が出場するということで、日本でも生中継された)。その後、開幕前にマイナーに落とされ、再びアルバカーキでプレーし、打率.300、32本塁打、105打点をマーク。同年オフ、広島東洋カープと契約。メジャーでは目立った成績は残していないが、マイナーでは通算181本塁打を記録しており、背番号25を受け継いだことからもうかがえるように、移籍した新井貴浩の穴を埋める右の大砲として期待されての入団であった。 は好機での凡退が目立ち、新井の穴を埋めるまでには至らなかったが、意外性のあるバッティングを見せることもあった。この年に挙げた勝利打点は、チーム内では栗原健太に次ぐ12である。11月30日に残留要請することが発表され、12月9日に契約成立した。背番号25を新入団の石井琢朗がつけたため、背番号は57に変更となった。 は4月24日から4月30日まで4番一塁手・三塁手として出場したが、シーズン序盤から不振にあえぎ、中盤にはスコット・マクレーン、アンディ・フィリップスの加入もあって出番が激減。結局、同年限りで退団となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スコット・シーボル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Scott Seabol 」があります。 スポンサード リンク
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