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義経=ジンギスカン説(よしつね=ジンギスカンせつ)は、モンゴル帝国の創始者で、イェスゲイの長男といわれているチンギス・ハーン(成吉思汗)(1155年以降1162年までの間-1227年8月12日〔ジャン=ポール・ルー著、杉山正明監修「チンギス・カンとモンゴル帝国」p21,p37。より。なおチンギス・カン死後の相続は末子相続で有名である(林俊雄著「スキタイと匈奴」p63)。66歳で死んだという説と72歳で死んだというように各説がある(陳舜臣「中国の歴史(五)」p135)。幼いころに父を失い、若年期は敵の捕虜になっていたとされる。〕)は、衣川の戦いで自害したという源義経(1159年-1189年6月15日)が同一人物であるという仮説・伝説である。信用に足らない俗説・文献が多く、源義経=チンギス・ハーン説は否定されているが、信用・信頼できる文献と出来ない文献があり整理する必要があり、注意を要する。 == 起源と経緯 == ==== 室町から現在までの大まかな流れ ==== 源義経という人物は日本史上極めて人気が高く、その人気故数々の事実と確認されない逸話伝説が生まれた。 江戸時代中期の史学界では林羅山や新井白石らによって真剣に歴史問題として議論され水戸光圀が蝦夷に探検隊を派遣するなど、重大な関心を持たれていた。寛文7年(1667年)江戸幕府の巡見使一行が蝦夷地を視察しアイヌのオキクルミの祭祀を目撃し、中根宇衛門(幕府小姓組番)は帰府後何度もアイヌ社会ではオキクルミが「判官殿」と呼ばれ、その屋敷が残っていたと証言した。更に奥の地(シベリア、樺太)へ向かったとの伝承もあったと報告する。これが義経北行説の初出である〔義経入夷渡満説書誌 岩崎克己著 〕。寛文10年(1670年)の林羅山・鵞峰親子が幕命で編纂した「本朝通鑑」で「俗伝」扱いではあるが、「衣川で義経は死なず脱出して蝦夷へ渡り子孫を残している」と明記し、その後徳川将軍家宣に仕えた儒学者の新井白石が『読史余論』で論じ、更に『蝦夷志』でも論じた。徳川光圀の『大日本史』でも注釈の扱いながら泰衡が送った義経の首は偽物で、義経は逃れて蝦夷で神の存在として崇められている、と生存説として記録された。沢田源内の『金史別本』の虚偽が一部の識者には知られていたが、江戸中期、幕末でもその説への関心は高く、幕吏の近藤重蔵や、間宮林蔵、吉雄忠次郎〔(1787~1833)オランダ通詞。文政6年馬場佐十郎の跡を継ぎ、天文方詰め通詞となる。同九年郷里長崎に戻りシーボルトの翻訳を手伝う。11年シーボルト事件に連座し、米沢藩預かりとなり、天保4年同地で病死する。〕など、かなりのインテリ層に信じられていた。一般庶民には金史別本の内容が広まり、幕末まで源義経が金の将軍になったり、義経の子孫が清という国を作ったなどという話が流行した。明治時代初期のアメリカ人教師のグリフィスが影響を受けてその書『皇國(ミカド 日本の内なる力)』でこの説を論じるなど、現代人が想像する以上に深く信じられていた。シーボルトがその書「日本」で義経が大陸に渡って成吉思汗になったと主張したあと、末松謙澄の「義経再興記」や大正末年に小谷部全一郎によって『成吉思汗ハ源義經也』が著されると大ブームになり、多くの信奉者を生んだ。明治以後の東洋史などの研究が西洋などから入り、史学者などの反論が大きくなるが、否定されつつも東北・北海道では今も義経北行説を信じる者が根強く存在している〔土井全二郎『義経伝説を作った男 義経ジンギスカン説を唱えた奇骨の人・小谷部全一郎伝』光人社、2005.10、ISBN 4769812760〕。戦後は高木彬光が1958年(昭和33年)に『成吉思汗の秘密』を著して人気を得たが、この頃になると戦前ほどの世間の関心は薄れ、生存説は俗説にされて、アカデミックな世界からは取り扱われることは無くなっている。我国ではこの様に何世代も渡って語られてきた伝説・仮説も現代では、トンデモ説、都市伝説などと評されている。小谷部全一郎や末松謙澄らのようにこの説に関連し軍功に寄与したため勲章をもらう者もいた。義経がチンギスハンになったという説はシーボルトが最初で、彼の論文の影響が非常に大きいと岩崎克己は記している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「義経=ジンギスカン説」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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