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浪越 徳治郎(なみこし とくじろう、1905年11月15日 - 2000年9月25日)は、香川県仲多度郡多度津町出身。指圧療法創始者。日本指圧協会元会長。 == 経歴 == 7歳のとき、北海道虻田郡留寿都村に移住。多発性関節リウマチの母の痛みを和らげたいという一心から揉んだり擦ったりするうち、指で押すことで痛みが和らぐことを発見する。後にこの技術を指圧と名づけ、多くの人にその技術を広めるため、1940年、東京市小石川区に指圧学校を設立した。 マリリン・モンローが新婚旅行で来日した際に、胃痙攣(けいれん)で体調を崩したモンローに素手で触って指圧した〔浪越徳治郎・著 自分でできる3分間指圧:快食・快眠・快便の健康法(1967年) 実業之日本社〕唯一の日本人である。このことについて浪越は「そりゃあもう、とにかく綺麗な方でしたよ。いつもより三倍くらい時間をかけてしまいました」と後にテレビ番組の中で述懐している。 他にも、モハメド・アリや吉田茂首相をはじめとした歴代の内閣総理大臣、A級戦犯を裁いた東京裁判のジョセフ・キーナン首席検事など、国内外の著名人を治療したことにより、日本はもとより全世界に指圧(SHIATSU)を普及させた。 1971年には無所属で第9回参議院議員通常選挙全国区に立候補したが落選した。 テレビドラマやバラエティ番組などにも数多く出演。特に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)では、当初、「アーッハッハ」という豪快な笑い声から「アッハー浪越」の名前で登場。後に、ジェットコースターに乗った際に普段の笑い声が消え、あまりにも怖がっていたためそのリアクションから「ジェット浪越」と命名され、一般人から発掘された福島出身の吉田十三(通称「エンペラー吉田」)とのコンビで知名度を上げた。 「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」の決め台詞は、特に有名である。 2000年9月25日午前3時7分に、肺炎のため東京都文京区の病院で死去。94歳。 墓所は東京都文京区小石川三丁目の伝通院。寺の境内には生前浪越が寄贈した指塚がある。日本指圧専門学校は同寺の傍に所在する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浪越徳治郎」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tokujiro Namikoshi 」があります。 スポンサード リンク
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