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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジェラルド・ゴルドー(Gerard Gordeau、男性、1959年3月30日 - )は、オランダの総合格闘家、空手家、キックボクサー、プロレスラー。アムステルダム出身。ドージョー・カマクラ主宰。 == 来歴 == 恵まれた体格を生かし、空手を始める。極真空手の世界大会で来日を果たした後、日本のK-1、リングス等で活躍。一時USA大山空手の傘下に入っていたが、現在はオランダでドージョー・カマクラという道場を持ち後進を指導している。また、サバット(フランス式キックボクシング)の試合にも出場した経歴があり、プロレスラーとしても試合をこなしている。 1988年8月13日、第2次UWFで前田日明と異種格闘技戦で対戦。試合開始直後から打撃で前田を圧倒するも、右ハイキックをキャッチされ裏アキレス腱固めで敗北。なお、この試合の際のゴルドーは、ボクシンググローブとキックパンツというキックボクサー風の姿だった。 リングスに参戦し、1992年1月25日に佐竹雅昭と対戦した時は、2R終盤にブレイクからの試合再開の際、勘違いをしたのかコーナーに戻ってしまうが、その直後の佐竹の攻撃に怒り、顔面パンチ(当時のリングスは素手のため、顔面へのパンチ攻撃は反則だった)やサミングなどの反則行為を行い、後ろを向いた佐竹にさらに追撃を加え反則負け。 1993年9月4日、K-1 ILLUSIONでアダム・ワットと対戦。2R2分7秒、右バックブローでKO負け。 1993年10月3日、KARATE WORLD CUP '93(正道会館主催)に出場。反則が多く、1回戦で後川聡之に判定負け。 1993年11月12日、当時は異色の新興格闘技団体だったUFC 1に参戦する。トーナメント1回戦ではテイラ・トゥリ(元幕下力士・高見州)と対戦。トゥリの突進をリング際でいなすと、バランスを崩し転んだトゥリの顔面へ躊躇なくサッカーボールキックを叩き込み、戦意喪失し座り込んだところを素手で顔面を殴るというKO勝利を収める〔当時のUFCはグローブの着用が義務付けられておらず、グラウンド状態の相手への蹴りも禁止されていなかった。〕。試合後の検査でトゥリは顔面骨折が判明、ゴルドーの足の甲には折れたトゥリの歯が突き刺さっていたという。その後ゴルドーは決勝に進出、ホイス・グレイシーと対戦。しかしこの試合中、ゴルドーはチョークスリーパーを狙うホイスの腕に噛みつくという蛮行に出る。ホイスはこの行為に激怒し、レフェリーストップ後もゴルドーを絞め続けた。 1995年4月20日、「VALE TUDO JAPAN OPEN 1995」では、レフェリーの制止を無視して中井祐樹に故意のサミングを繰り返した。中井は右目を失明し、総合格闘家として活動することは不可能になった(現在は柔術家として活躍)。この試合で、ゴルドー自身も格闘家としての選手生命を絶たれたともいえる。 プロレスのリングにおいては、空手を武器にUWF、新日本プロレス、UFO、ZERO-ONEを主戦場にしていた。アントニオ猪木の引退カウントダウン(1995年)の相手を務めたことでも有名。ファイトスタイルがこれらの団体に受けが良いからか、特に猪木、橋本真也からの評価は高かった。 現在はプロレスラーとして来日するケースが多いが、格闘技の試合は全くない。2005年9月11日、BIG MOUTH LOUD 旗揚げ戦でエンセン井上と対戦。サミングを仕掛けるなど喧嘩ファイトを繰り広げたが、2分56秒腕ひしぎ十字固めで一本負け。 2010年4月11日には久々に来日し、ZERO1・靖国神社大会に参戦。弟子の崔領二とのタッグで曙・澤宗紀組と対戦し勝利した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェラルド・ゴルドー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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