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ジェルジ・クルターグ : ミニ英和和英辞書
ジェルジ・クルターグ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジェルジ・クルターグ ( リダイレクト:クルターグ・ジェルジュ ) : ウィキペディア日本語版
クルターグ・ジェルジュ[ちょうおん]

クルターグ・ジェルジュKurtág György ˌɟørɟ , 1926年2月19日 ルーマニアルゴジ Lugoj(旧ハンガリー・ルゴシュ) - )は、ルーマニア出身のハンガリー人の作曲家ピアニスト、室内楽の教授。バルトークマリンシュテインウェーベルンらの影響を受けており、表現主義においてウェーベルンの後継者と言われている。
息子のジェルジュ・クルターグ・ジュニアも作曲家であり、シンセサイザーを用いた即興演奏の奏者である。父、クルターグ・ジェルジュのハンガリーのブダペシュトで行なわれた生誕80周年の記念連続演奏会で、初めてコラボレーションを行なった。2016年2月19日、20日、クルターグ生誕90年を祝う連続ガラ・コンサートがブダペシュトで行われる。
現在、ハンガリー・ブダペシュトに在住する。
== 略歴 ==
1940年ティミショアラカルドシュ・マグダにピアノ、エイシコヴィツ・マックスに作曲のレッスンを受け始める。1946年、ブダペシュトに移りフランツ・リスト音楽院に入学する。ヴェレシュ・シャーンドルファルカシュ・フェレンツに作曲、カドシャ・パールにピアノ、ヴェイネル・レオに室内楽を学ぶ。当初は尊敬するバルトークに教わることを望んでいたため、バルトークの訃報は彼に大きな衝撃を与えた。リゲティ・ジェルジュとは、1945年9月初旬に行なわれたブダペシュトのリスト音楽院の作曲専攻の入学試験で出会い、その友情は生涯にわたった。1951年にピアノと室内楽で卒業、1955年に作曲の学位も得る。
1950年代前半、ハンガリーではスターリン主義政権によりバルトークの後期作品は禁止されており、50年代後半までシェーンベルクや中後期のストラヴィンスキーの音楽が禁止されていた。この束縛を逃れるため、1957年から1958年にかけてパリに留学し、ダリウス・ミヨーオリヴィエ・メシアンの授業に出席した。この頃、ウェーベルン、サミュエル・ベケットの演劇から影響を受け、自身の音楽的思考へ深化させる。この結果が、1959年にブダペストに帰ってから作曲された『弦楽四重奏曲Op.1』である。また、この時期にハンガリー人で芸術心理学者のマリアンヌ・シュタインと共に働く。彼は、最も深い影響を受けた人物として、少年時代テメシュヴァールで指導を受けたカルドシュ・マグダとマリアンヌ・シュタインの名をあげている。『弦楽四重奏曲Op.1』と後の『カフカ断章』はマリアンヌ・シュタインに献呈されている。
1958年から1963年までブダペストのバルトーク・ベーラ音楽高校、1960年から1968年までハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団のトレーナーを務める。
1967年、フランツ・リスト音楽院の教授となる。最初はピアノ、後に室内楽も教える。教え子にはシフ・アンドラーシュコチシュ・ゾルターンらがいる。
1971年、Deutscher Akademischer Austauschdienst (DAAD) の奨学金を得て西ベルリンに滞在する。
1973年、ハンガリーのKossuth賞受賞、1985年フランス政府から芸術文化勲章を授与される。
1981年にパリでチェンゲリ・アドリエンヌ(ソプラノ)、シルヴァン・カンブルラン(指揮)、アンサンブル・アンテルコンタンポランにより初演された『亡きR.V.トリュソーヴァのメッセージ / リンマ・ダロスによる21の詩』でハンガリー国外でも知られるようになり、世界的に高い評価を受けるようになった。この曲以降も声楽・合唱曲はクルターグにとって重要な分野の一つとなっている。
1986年に音楽院を退職するが、1993年までいくつかのクラスで教えた。1993年から1995年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のレジデンス作曲家を務め、1994年『石碑 Op.33』はクラウディオ・アバド指揮で初演された。
長く暖めていた空間音楽を実現したのがピアノとアンサンブルのための『...quasi una fantasia...』である。長音階の単音の下降から始まる1楽章は、長音階の断片を弾くピアノソロと、小さな鈴のような様々な打楽器によって創られている。深い沈黙と様々に鳴る打楽器によるこの曲からは、まるで俳句のような世界が感じられる。すぐさま、衝撃的な強烈な打楽器にヴィルトゥオーソのピアノが続く。このような二元の世界の共存はまさにクルターグである。1988年10月のベルリン音楽祭のために書かれ、ゾルターン・コチシュ(ピアノ)、エトヴェシュ・ペーテル(指揮)、アンサンブル・モデルンの演奏で初演された。『ヴァイオリン、ヴィオラとオーケストラのためのコンチェルタンテ 裕美と賢へ』Op.42は、まるでこの『...quasi una fantasia...』に回帰するように作曲されているのが興味深い。
クルターグは寡作の作曲家であり、たえず作曲に苦しむ。ブダペシュトでは、「ねーねー、とうとうクルターグが作曲したそうだよ」「それはよかった。それで何を?」「たったたった一つのゲネラル・ポーゼを」という笑い話が語られた。しかし実は毎日のように、まるで手紙や日記のように、友人達にあてた小品を作曲している多作の作曲家でもある。ピアノのための『遊び(Jatekok)』は1973年に第1巻が出版された。1・2巻は、テーケ・マリアンヌを教育的な協同者として、様々な図形を用いて作曲された。最初のピアノ教師であるカルドシュ・マグダに献呈され、「花、人…」とモットーしている。
クルターグは、「子どもがピアノに触れた瞬間から、自由に全鍵盤に上を自由に走り回れたらという考えが、この作品集を生んだ」と前書きを書き始めている。現在8巻までが出版されている。4巻は、連弾と二台のピアノのための作品。5巻以上は、手紙や日記のようなクルターグの作品が収められている。
クルターグは、子どもとおとな、初心者と専門家を区別しない。初心者の子どもが弾く、第1巻1番の「無窮動」や2番「手のひら弾き」3番「花、人…」「結び目」、2巻「Fisのアンティフォーネ」などは、クルターグのリサイタルでほとんど必ず演奏される。
2006年2月には、ブダペシュトで2月15日から19日の5日間にわたって、それまでの代表作による80歳記念演奏会が行われ、『クルターグ』とい う著書や記念演奏会CDが出版された。
2009年1月31日と2月1日には、カーネギー・ホールで、作品展が行なわれた。31日には、『アンナ・アフマートヴァによる4つの詩』   Op.41(1997-2008)が世界初演された。クルターグ夫妻は、二人のソロと四種連弾によるピアノ・コンサートを40年近く行っている。クル  ターグは、グランド・ピアノの音色を好まない。このカーネギーホールのコンサート以来、終始ソフト・ペダルを踏んだアップライト・ピ アノを用い、子息クルターグ・ジュニアのPAによって演奏会を行っている。プログラムは、自身のピアノ小品集『ヤーテーコック(遊   び)』1-8巻、
 『バッハの編曲集』1-2巻からの抜粋。これらの譜面はEditio Musica Budapestより出版されている。
2010年2010年11月2日、パリ・オペラ座ガルニエ宮 演奏会 -パリ 秋の音楽フェスティヴァルー 第一部クルターグ夫妻ピアノ・リサイタ ル、第二部、「コリンダ・バラード(Colinda-Balada)」Op.46(テノールと2重合唱と楽器群のための)と「アンナ・アフマートヴァの詩 による四つの歌」Op.41(ソプラノと楽器群のための)のパリ初演。
2012年9月22日、パリのシテイ・ホール、クルターグとクルターグ夫人マールタによる演奏。作品は、 バッハの編曲と『ヤーテーコック(遊 び)』から。アンコール5回を入れて90分間、休憩なしの演奏。
2013年12月1日、12月1日、ロンドンのクリーン・エリザベス・ホールで、クルターグ・ジエルジュ、ロイヤル・フィルハーモニー協会のゴー ルド・メダル受賞記念コンサート。第一部は、アムステルダム在住のヴァイオリニスト菊池裕美のソロで、クルターグ作曲「ヒパルテイー タ」作品43(2000-04年)。第二部は、クルターグ夫妻による自作(バッハの編曲作品が含まれる)によるソロとドウオのリサイタル。
 現在、ベケットによる「エンド・ゲーム」のオペラの作曲に数年来取り組んでいる。
2016年2月14日ー25日。クルターグ生誕90年祝うフェスティヴァル「Kurtág 90」、連続のガラ・コンサート。会場:BMC大ホール、リスト音楽 大学大ホール、国立オペラ座。プログラムは、初期の作品、あまり知られていない作品など多数。楽譜が2冊出版された。
 コピーされた『遊び ピアノのために』の手書きの原譜『コチシュ・ゾリのためのノート』と『エジプトのカップルー未知への途中(アッ プライトピアノをソルデイーノ・ペダルで』

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クルターグ・ジェルジュ」の詳細全文を読む




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