|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジェームス・クレイグ・バラ(James Craig Ballagh、1842年9月25日 - 1920年11月15日)は、アメリカ合衆国長老教会の教育宣教師である。ジェームス・ハミルトン・バラは実兄。 1842年、アメリカ合衆国ニューヨーク州デラウェア郡ダベンポートに5男5女の四男として生まれる。ニューヨークのテナフライ学校で初等教育を終了し、チェリー・アカデミーに進学し、数学、天文学、土木、商業簿記などを学んだ。1846年に母校のテナフライの教師になる。後に、ミズーリ州のウエスト・ポート・アカデミーで準学長を務めた。 先に、来日していた兄のジェームス・ハミルトン・バラが日本基督公会を設立して、仮牧師として牧会に専念することになった。それまで、教えていた洋学校の藍謝堂(高島学校)での教師の代わりを依頼される。 これを受けて、バラは1872年6月に来日し、高島嘉右衛門と契約を結び、藍謝堂の教師になる。途中、県立修文館と合併し、横浜市学校になる。火災で新校舎が焼失して野毛山に移転し、市中共修文館に改称する。1875年に契約満期終了により、修文館を退職する。 1875年8月16日に米国長老教会、ヘンリー・ルーミスの司式で、リディア・ベントンと結婚式を挙げて、横浜山手9番に新居を構える。そして、夫人とともに米国長老教会在日ミッションへ加入を表明し、8月30日に承認された。それ以降ヘボン塾の男子クラスを受け持つことになった。 1876年1月にヘボン夫妻は塾をバラに任せることになり、それ以降バラ塾と呼ばれることになった。バラの教え子は熊野雄七、石本三十郎、服部綾雄、松村介石などがいる。 1877年米国長老教会ミッションはアメリカ・オランダ改革派教会とスコットランド一致長老教会と共同で、日本基督一致教会を創立する。日本人教職の養成のために東京一致神学校を設立した。この神学校に人材を送り込む教育機関として、1880年に築地大学校が設立された。バラが教頭になり、専任教師にウィリアム・インブリー、O・M・グリーンらが就任した。 1881年からは築地大学校の校長になった。1882年に一時帰国する。帰国間際に妻のリディアが肺炎で死去する。1884年9月7日の再来日の際には妹のアニー・バラが一緒に宣教師として来日した。 1885年バラはレベッカ・フォールズと再婚した。1886年に東京一致神学校、東京一致英和学校、英和予備校が合併して、明治学院が設立された。それから、バラは普通学部の教授として天文学、簿記学を教えた。また、40年に亘り在日長老ミッションの会計を務め、健全なミッション運営に貢献した。 1920年11月15日に鎌倉で死去する。亡骸は瑞聖寺の明治学院墓地にレベッカ夫人と共に埋葬されている。 == 参考文献 == *『長老・改革教会来日宣教師辞典』新教出版社、2003年 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェームス・クレイグ・バラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|