翻訳と辞書
Words near each other
・ ジミー・カーター
・ ジミー・カーター (原子力潜水艦)
・ ジミー・カーター (潜水艦)
・ ジミー・カーターウサギ事件
・ ジミー・カーワン
・ ジミー・ガードナー
・ ジミー・ガービン
・ ジミー・キンメル
・ ジミー・キンメル・ライブ
・ ジミー・キンメル・ライブ!
ジミー・キー
・ ジミー・ギャリソン
・ ジミー・クリフ
・ ジミー・クレイトン
・ ジミー・クレスポ
・ ジミー・グリーブス
・ ジミー・グリーヴス
・ ジミー・ケベ
・ ジミー・コナーズ
・ ジミー・コブ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジミー・キー : ミニ英和和英辞書
ジミー・キー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジミー・キー : ウィキペディア日本語版
ジミー・キー[ちょうおん]

ジミー・キーJames Edward "Jimmy" Key , 1961年4月22日 - )はアメリカメジャーリーグで活躍した投手左投右打
アメリカ合衆国アラバマ州ハンツビル出身。現役時代の代理人はカリン夫人が務めていた。
== 人物・来歴 ==
バトラー高校時代に10勝0敗、防御率0.30の記録を残す。
打者としても打率.410、11本塁打、35打点の活躍。
クレムゾン大学に進学し、投手としては9勝3敗、防御率2.79。登板しないときでも指名打者(DH)で出場し、打率.300を記録。
にはカレッジ・ワールド・シリーズの第1戦に先発した。
6月ドラフト会議トロント・ブルージェイズから3巡目に指名され、入団。
1シーズン半のマイナー生活を経て、4月6日にリリーフでメジャー初登板。
この年はリリーフばかり63試合に登板して、4勝5敗10セーブ、防御率4.65を記録。
この年の背番号は「27」であったが、先発に転向した翌1985年以後、ブルージェイズでは「22」に変更した。
1985年には14勝6敗、防御率3.00の好成績。
デーブ・スティーブドイル・アレクサンダーらとともに先発ローテーションを担い、チームの球団創設以来初の地区優勝に貢献した。
カンザスシティ・ロイヤルズとのア・リーグチャンピオンシップシリーズではまず第2戦に登板。
勝敗はつかなかったが、チームは延長10回に逆転サヨナラ勝ち。
3勝1敗とリードし、あと1勝で初のカナダでのワールドシリーズ開催となる第5戦に先発。
1回、2回に1点ずつを取られるが、その2点に抑える好投。
しかし、打線がダニー・ジャクソンに抑えられて0-2で敗れる。チームはその後第6戦、第7戦にも敗れ、リーグ優勝はならなかった。
その後も、までの間、故障で1勝に終わったを除いて毎年12勝以上をあげる安定した活躍を見せる。
には防御率1位のタイトルを獲得。
秋に日米野球で、メジャーリーグオールスター(監督はデトロイト・タイガーススパーキー・アンダーソン)の一員として来日している。
にもチームは地区優勝するが、リーグチャンピオンシップシリーズでオークランド・アスレチックスに敗れる。
にようやく念願かない、ワールドシリーズに進出。
アトランタ・ブレーブスとのワールドシリーズでは、第4戦に先発してトム・グラビンに投げ勝って勝利投手となり、さらに第6戦にリリーフで勝利を挙げ、チームのワールドチャンピオンに貢献。
しかし、この登板を最後にフリーエージェント(FA)でニューヨーク・ヤンキースと4年1,680万ドルで契約。
ヤンキースでも背番号22をつけ、移籍初年度のには自己最多の18勝をあげる。
1994年から1995年のMLBストライキでシーズンが短縮されたにはリーグ最多の17勝をあげる。
1995年は故障のため1勝に終わるが、に12勝をあげ、チーム15年ぶりのリーグ優勝、18年ぶりのワールドシリーズ制覇に貢献。
ブレーブスとのシリーズでは、まず第2戦に先発し、敗戦投手。
チームは本拠地ヤンキー・スタジアムで連敗スタートとなったが、その後チームは敵地アトランタで3連勝。
ホームに戻った第6戦に再び先発すると、グレッグ・マダックスに投げ勝って勝利投手となり、自身2度目のワールドチャンピオンとなるが、この時もこの登板を最後にFAで移籍することとなった。
ヤンキース移籍を決めてからちょうど4年後の1996年12月10日にボルチモア・オリオールズと2年773万ドルで契約。
背番号は今まで着けていた「22」がオリオールズの永久欠番ジム・パーマー)だったため、「21」となった。移籍初年度の1997年は16勝をあげ、チームのプレイオフ進出に貢献するが、には6勝に終わり、この年限りで現役を引退した。
球速はそれほどでもないが、制球力に優れ、9イニングあたりの与四球は2回(1989年、1993年)リーグ最少であった。通算の9イニング平均与四球は2.32で、同時期に活躍した投手と比較すると、ブレット・セイバーヘイゲンの1.65やグレッグ・マダックスの1.81にはかなわないが、フランク・バイオーラが2.74、ロジャー・クレメンスが2.89、ジャック・モリス
3.27、フェルナンド・バレンズエラが3.53、長年のチームメイトデーブ・スティーブが3.21となっている。
スライダーの切れは良く、右打者にも有効であった。通算勝率は.614で、これはメジャー歴代79位にあたる(終了時点。通算2,000イニング以上投げた投手に限る。)。
現在はニューヨークのノースセーラムに在住。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジミー・キー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.