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ジャッキー・マクリーン : ミニ英和和英辞書
ジャッキー・マクリーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジャッキー・マクリーン : ウィキペディア日本語版
ジャッキー・マクリーン[ちょうおん]

ジャッキー・マクリーンJackie McLean1931年5月17日-2006年3月31日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク出身のジャズサックス奏者。本名John Lenwood McLean。「レフト・アローン」等の演奏で知られる。
== 略歴 ==
ジャッキーの父はギタリストで、ブルース・ミュージシャンのタイニー・ブラッドショウのバックも務めた。
ハイスクール時代には既に、アルト・サックスの腕前は上達しており、ケニー・ドリューソニー・ロリンズと共演。1951年10月、ソニー・ロリンズやアート・ブレイキーと共に、マイルス・デイヴィスのアルバム『ディグ』の録音に参加。その後も何度かマイルスと共演。
1955年、初のリーダー・アルバム制作。ほどなくプレスティッジ・レコードに移籍。また、1956年1月には、チャールズ・ミンガスの『直立猿人』に参加。1958年には、ソニー・クラークの『クール・ストラッティン』にも参加。
1959年、バンド・リーダーとしてブルーノートと契約。同年にはウォルター・ビショップジミー・ギャリソン等を従えた『スイング・スワング・スインギン』発表。また、1960年にはマル・ウォルドロンのアルバム『レフト・アローン』に参加し、ジャッキーにとって重要なレパートリーとなる「レフト・アローン」を録音。この曲は、マル・ウォルドロンとビリー・ホリデイの共作だが、ビリーが亡くなったため、ジャッキーが参加したヴァージョンが初録音となった〔CDジャーナルムック ジャズ・スタンダード名曲徹底ガイド(上)(音楽出版社)p.112参照〕。
1963年には、まだ17歳だったトニー・ウィリアムスを従えたアルバム『ワン・ステップ・ビヨンド』発表。同作のレコーディングから間もなく、トニーはマイルス・デイヴィスにも認められ、マイルスのクインテットに加入した。トニーは1986年のインタビューで、ジャッキーが自宅まで来て両親を説得したというエピソードを語っている〔ジャズマンが愛する不朽のJAZZ名盤100(小川隆夫・著、河出書房)p.100参照〕。また、ジャッキーはフリー・ジャズにも傾倒していき、1967年のアルバム『ニュー・アンド・オールド・ゴスペル』で、オーネット・コールマンをバックに従えた。
1968年にはコネチカット州で教職に就き、音楽活動を休止するが、1970年代前半にスティープル・チェイスと契約して活動再開。
1986年1987年1996年の3回マウント・フジ・ジャズ・フェスティバルに参加。
2006年3月31日、コネチカット州で亡くなる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャッキー・マクリーン」の詳細全文を読む




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