|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ラン : [らん] 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
ジャナ・アンドラン(Jana Andoran)は1990年、ネパールに起きた民主化運動。国王の独裁権力の源であったパンチャーヤト制の廃止と複数政党制による議会制民主主義を勝ち取った。 「ジャナ」とは「人々の」、「アンドラン」は「運動」を意味する。 2006年の民主化運動はこれと区別してロクタントラ・アンドラン、または、ジャナ・アンドランIIと呼ばれる。 ==背景== 1951年、それまで続いていたラナ宰相家の独裁的支配が終焉し、トリブバン国王は亡命先から帰国し、王政復古を宣言する。後を継いだマヘンドラ国王ははじめ民主化の動きを受け入れ、1959年、はじめて複数政党制による選挙が行われ、ネパール会議派のビシュエシュワル・プラサード・コイララが首相に選出された。 しかし、矢継ぎ早に封建的諸制度を改革しようとするコイララ内閣と国王の間には亀裂が生じ、1960年、マヘンドラ国王はクーデターを起こし、議会と内閣を解散した。実にこれから30年にわたって、ネパールは国王の実質的な独裁政治が行われたのである。 1962年、マヘンドラ国王は、憲法を改正し、政党を禁止し、パンチャーヤト制といわれる複雑な間接民主主義を導入して、自らに有利な政権運営を行った。首相は国王が直接任命し、その意にかなった人物が任用された。 1972年、国王はビレンドラに代わったが、依然として父王の政策を維持した。 こうしたなか、1979年には反体制学生運動が起き、また1985年にはネパール会議派と一部の政党が複数政党制を求めてガンジー主義の影響を受けた非暴力運動を行ったが、体制を変革するには至らなかった。運動は政党や一部学生にとどまり、国民的広がりを見せることはなかった。 国外では、ベルリンの壁崩壊など一連の東欧革命、ソ連崩壊、天安門事件など、大規模な民主化運動が、1989年から1990年にかけて起こっていた。また、インドによる一部国境封鎖により、国内経済も非常に厳しい状態にあり、国民の不満が高まっていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャナ・アンドラン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|