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ジャン=ピエール・ブランシャール : ミニ英和和英辞書
ジャン=ピエール・ブランシャール[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

ジャン=ピエール・ブランシャール : ウィキペディア日本語版
ジャン=ピエール・ブランシャール[らん]

ジャン=ピエール・フランソワ・ブランシャール(、1753年7月4日 - 1809年3月7日)はフランスの気球乗り。1785年、気球による世界初のドーヴァー海峡横断に成功。パラシュートの先駆者の1人でもある。科学者というよりはショーマンであった〔『気球の歴史』p.47〕。自称、「気球による空の征服者」。
== 経歴と業績 ==
フランス北部のウール県レ=ザンドリで、旋盤工の息子として生まれる。若い頃から発明と機械いじりの才能を示し、独学で、ドライジーネに似た乗り物(16歳〔)やオートマタ(時期不詳)を作った。その後、ガイヤール城(''Château-Gaillard'' )の水道設備も作った。
しかし彼が真に情熱を抱いていたのは、大空の征服であった。「6枚の翼と舵を持った、鳥形をした空飛ぶ船」に精力を注ぎ、1782年3月5日には公開飛行を試みたが離陸できなかった。
モンゴルフィエ兄弟が熱気球を発明し、2人の志願者を乗せて有人飛行に成功すると、ブランシャールも翌年には気球に転向した。1784年3月2日には観衆をシャン・ド・マルス公園に集めて直径27ft(約8m)の水素気球を飛ばした。この飛行では、彼は早くも気球を操縦することを目論んで吊り篭にプロペラオールを装備したのだが、もちろん人力程度では操縦不能であった〔『気球の歴史』p.48〕。
1785年1月、友人にしてパトロンのアメリカ人科学者ジョン・ジェフリーズとともにドーヴァー海峡の横断飛行に成功した。用いられた気球は水素気球で、所要時間は2時間25分であった。2人はドーヴァー城から出発した。ブランシャールは今回も気球に舵やプロペラを積み込んだ(右図)が、役には立たなかった。気嚢の材質が悪かったためガスが流出して墜落の危機に陥った。2人は高度を稼ぐためにロープ、錨、そしてプロペラといった装備を全て投棄し、さらには衣服も脱ぎ捨てて、辛うじてフランスのパ=ド=カレー県ギュイーヌ森()に辿り着いたのだった。
この快挙は全ヨーロッパの知るところとなった。ブランシャールは各国で気球の公開飛行や、パラシュートで動物を降下させたり自ら降下する実験を行なった。なおブランシャールはパラシュートの発明者を自称していた〔『気球の歴史』p.94〕が、それは正しくない。落下傘は古くは15世紀から構想されており、彼より古い実験者は何人か存在する(→パラシュート#歴史)。フランクフルトで15回目の飛行、ヘントで16回目の飛行。ヘントでは砂袋の量を間違えて高高度に急上昇してしまい、凍死と窒息の危険に晒されたが、朦朧とする意識の中で気嚢を切り破って降下し、事なきを得た(この時の到達高度は、本人の主張によると推定32,000ft(約10km)である)〔『気球の歴史』p.92〕。
1808年、デン・ハーグ近郊で66回目の公開飛行の際、ブランシャールは卒中を起こして高度60ft(約20m)以上の空中で倒れた。彼は万全の手当てを受け、フランスに運ばれたが程なく死亡した。
妻のマドレーヌ・ソフィー・アルマン(''Madeleine Sophie Armant'' )ことソフィー・ブランシャール(1805年から連れ添っていた。ちなみに2番目の妻である)は彼の後を引き継いで気球による見世物飛行を続けたが、その後1819年7月6日にブランシャール夫人はパリで墜死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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