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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジュスト・フォンテーヌ(Just Fontaine, 1933年8月18日 - )は、モロッコ出身、フランス国籍の元サッカー選手、元サッカー指導者。ポジションはフォワード。 == 人物 == 当時フランスの保護国だったモロッコのマラケシュでスペイン人の母を持つ7人兄弟の1人として育つ。1958年に開催された第6回ワールドカップ・スウェーデン大会で6試合に出場したが、当初はスタメンではなく控え選手に過ぎなかった。ところが急遽スタメン入りするや6試合全てにゴールを決めるという八面六臂の大活躍を見せ、2度のハットトリックを含む13得点を挙げて得点王となる。これほどの彼の活躍にもかかわらず、フランスは準決勝でペレを擁するブラジルに2-5で敗れ去り、惜しくも優勝は出来なかった。しかし、3位決定戦では前回優勝国の西ドイツに彼の4得点を含む6-3のダブルスコアで圧勝を収め、見事3位の座を確保した。 後に西ドイツのゲルト・ミュラーが2大会通算14得点、ブラジルのロナウドが3大会通算15得点、ドイツのミロスラフ・クローゼが4大会通算16得点を記録したことにより、彼の得点記録は通算ゴール数でこそ彼らに抜かれたものの、1大会最多得点のワールドカップレコードである13得点は現在も破られていない。 因みに「全試合ゴール」の記録自体は既に第4回大会のアルシデス・ギジャが達成していたが、ギジャの場合は変則形式による全4試合(4点)なので、彼の成し遂げた6試合連続得点の凄さは些かも色褪せることはない。その後「全試合ゴール」を達成したのは第9回大会のジャイルジーニョ(7点)のみである。 しかし、その後は度重なる負傷のため第7回ワールドカップ・チリ大会には出場できず、1962年7月に28歳の若さで現役を引退した。 引退後は指導者となり、1967年にはフランス代表監督も務めたが、2試合連続敗戦の後更迭された。さらにパリ・サンジェルマンFC、トゥールーズFC、モロッコ代表の監督を務めた。その後はトゥールーズでスポーツ用品店を経営している。 1999年、 ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で45位に選出された。 2003年にはUEFAジュビリーアウォーズにおいて、ミシェル・プラティニやジネディーヌ・ジダンらを抑えて、フランスの最優秀選手に選出されている。 * 代表デビュー:1953年12月27日 vs ルクセンブルク戦 * 代表通算:21試合出場 30得点 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジュスト・フォンテーヌ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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