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ジュディ・アムーア : ミニ英和和英辞書
ジュディ・アムーア[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジュディ・アムーア : ウィキペディア日本語版
ジュディ・アムーア[ちょうおん]

ジュディ・アムーア(Judith ("Judy") Florence Amoore、1940年6月25日 - )は、オーストラリアの女子陸上競技選手。1964年東京オリンピックの銅メダリストである。ビクトリア州メルボルン出身。
== 経歴 ==
アムーアは、1964年東京オリンピックで、この大会の新種目である女子400mに出場。53秒4で、同じオーストラリアのベティ・カスバートイギリスアン・パッカーに次いで銅メダルを獲得した。1966年のジャマイカキングストンで開催されたコモンウェルスゲームズでは440ヤードで優勝。880ヤードで2位という成績を残した。
アムーアは結婚後ジュディ・ポロックと名乗るようになった。1967年6月28日には、フィンランドヘルシンキで行われた800mのレースで、これまでパッカーがもっていた世界記録を10分の1秒更新する2分01秒0の世界新記録を樹立した。アムーアは、翌1968年に妊娠出産のため競技から引退する。
アムーアは、1971年にミュンヘンオリンピック出場に向けて競技に復帰。ミュンヘン大会への出場権を勝ち取るが、故障のため出場することはできなかった。この後、家庭の事情のため、再び引退した。
しかし、1976年モントリオールオリンピックに向けて、再び競技に復帰する。今度は、競技を800m、1500mに絞ることとした。オーストラリア選手権の800mで2位となりオリンピック出場を果たす。36歳で出場したモントリオールの800mは予選を2位で通過し、準決勝では1分59秒93と、惜しくも決勝進出を逃した。準決勝で敗退した選手の中でもっともよい記録であった。また、1500mでも予選で自己ベストを記録したが、決勝進出を逃している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジュディ・アムーア」の詳細全文を読む




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