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ジュリア―ナ・ストラミジョーリ (Giuliana Stramigioli、1914年8月8日 ローマ - 1988年7月25日 ローマ) はイタリアの実業家、大学教授、日本研究者。 == 来歴 == 1936年、ローマ・ラ・サピエンツァ大学にて学位取得。指導教官はジュゼッペ・トゥッチ。交換留学生として京都大学に留学し、日本語と仏教美術について研究。2年後イタリアに帰国し、ナポリ大学にて教鞭を執るが、その1年後に国際文化振興会(国際交流基金の前身)の奨学金を得て再び日本に留学する。 1936年から1940年の間、ジャーナリズムの分野で盛んに活動。その中には「ガッゼッタ・デル・ポポロ」紙、および「ジョルナーレ・ディタリア」紙に寄稿した韓国についてのルポルタージュや、北日本やアイヌ民族についてのルポルタージュなどがある。第二次大戦中には在日本イタリア大使館、およびイタリア文化会館に勤務した。 戦後、東京外国語大学でイタリア語を教授した。また、彼女は1948年に文化活動としてイタルフィルムを設立し、イタリア映画の日本への輸入を始め、日本の映画ファンに「無防備都市」、「自転車泥棒」などネオレアリズムの作品を紹介した。更に、ヴェネツィア国際映画祭に黒澤明の映画「羅生門」を紹介したのも彼女である。「羅生門」は同映画祭で最高賞の金獅子賞を獲得した。 1965年、イタリアに帰国。マルチェッロ・ムッチョーリ(1898-1976)の後を継いで、ローマ・ラ・サピエンツァ大学にて日本語、日本文学の教授となり1985年までその職を務めた。フォスコ・マライーニとともに、伊日文化研究会(AISTUGIA)の創立メンバーである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジュリアーナ・ストラミジョーリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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