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ジュールズ・ストロンボー : ミニ英和和英辞書
ジュールズ・ストロンボー[じゅーる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ジュール : [じゅーる]
 【名詞】 1. joule 2. (n) joule
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジュールズ・ストロンボー : ウィキペディア日本語版
ジュールズ・ストロンボー[じゅーる]

ジュールズ・ストロンボーJules Strongbow)のリングネームで活躍したフランク・ヒルFrank Hill、本名:Francis Huntington1952年 - )は、アメリカン・インディアンの元プロレスラーアメリカ合衆国カンザス州カンザスシティ出身。
== 来歴 ==
1970年代フランク・ヒル名義でデビュー。インディアンギミックベビーフェイスとして、中西部NWAセントラル・ステーツ地区AWAなどで活動する。1978年にはAWAにて、ニック・ボックウィンクルブラックジャック・ランザボビー・ダンカンレイ・スティーブンスパット・パターソンスーパー・デストロイヤー・マークIIアンジェロ・モスカロード・アルフレッド・ヘイズセシル・デュボアなど大物ヒールジョバーを務め、インディアン・レスラーの大御所ワフー・マクダニエルのパートナーにも起用された。
1979年11月、ワフー・マクダニエルとのインディアン・コンビで全日本プロレス世界最強タッグ決定リーグ戦に初来日。キャリア不足のためマクダニエルの足を引っ張る形となり、対戦チームへの白星配給係で終わったが、開幕戦でアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークの「地上最凶悪コンビ」に血ダルマにされたシーンは語り草となるなど、ジョバーとしての役割を全うした。
帰国後はロサンゼルス地区チーフ・ランニング・ヒル(''Chief Running Hill'')を名乗り、メキシコ系アメリカ人アル・マドリルとのタッグチームで活動。オックス・ベーカー&ジ・エンフォーサーなどのチームと抗争し、ヒール時代のハルク・ホーガンともシングルマッチで対戦している。1981年にはオクラホマ州のトライステート・プロモーションにてポール・オーンドーフの実弟テリー・オーンドーフらと組み、同地区認定のタッグ王座を獲得した。
1982年チーフ・ジェイ・ストロンボーの「弟」として、ジュールズ・ストロンボーのリングネームでWWFに登場。6月28日にニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにて、ミスター・サイトー&ミスター・フジの日系悪党コンビからWWFタッグ王座を奪取した。7月13日にアレンタウンでサイトー&フジに奪還されるが、10月26日に同所で返り咲きに成功。以降、翌1983年3月8日にワイルド・サモアンズに敗れるまでタイトルを保持した〔。WWFでは、ジェシー・ベンチュラアドリアン・アドニスブラックジャック・マリガンジミー・スヌーカカウボーイ・ボブ・オートンスウェード・ハンセンバロン・シクルナスーパースター・ビリー・グラハムバディ・ローズビッグ・ジョン・スタッドサージェント・スローターイワン・コロフらと対戦し、当時マグニフィセント・ムラコが保持していたインターコンチネンタル王座にも再三挑戦している。
WWFを離れた1984年からはフリッツ・フォン・エリックの主宰するテキサス州ダラスのWCCWにて活動。リングネームに「チーフ」を冠したチーフ・ジュールズ・ストロンボー(''Chief Jules Strongbow'')として、ファビュラス・フリーバーズキラー・カーンジェイク・ロバーツジノ・ヘルナンデスクリス・アダムスミッシング・リンクスコット・アーウィン&ビル・アーウィンなどのヒール勢と抗争した。"ロックンロール" バック・ズモフとのタッグでは、ジュールズが劣勢になると、ロックンローラー・ギミックのズモフがエプロンサイドをパーカッション代わりに叩きながら彼を鼓舞し、士気の高まったジュールズが闘いの舞いを踊って反撃に転ずるという展開を見せた。
1985年はニューヨークのインディー団体IWCCWにてグレート・コキーナと対戦。1988年よりペンシルベニア州のインディー団体NWF(かつてクリーブランドに存在したNWFとは別組織)に参戦し、晩年のブルーザー・ブロディともタッグを組んだ。以降も1990年代から2000年代初頭にかけて、同団体やオハイオ州のIWAなどにスポット出場。1999年には、当時のインディアン・レスラーの新鋭だったナバホ・ウォリアーと組んでアイアン・シーク&ニコライ・ボルコフの往年の反米コンビを破り、NWFタッグ王者となっている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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