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ジュール・ヴェルヌ : ミニ英和和英辞書
ジュール・ヴェルヌ[じゅーる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ジュール : [じゅーる]
 【名詞】 1. joule 2. (n) joule
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジュール・ヴェルヌ : ウィキペディア日本語版
ジュール・ヴェルヌ[じゅーる]

ジュール・ガブリエル・ヴェルヌ(、 1828年2月8日 - 1905年3月24日)は、フランスの小説家ハーバート・ジョージ・ウェルズとともにサイエンス・フィクション(SF)の開祖として知られ、SFの父とも呼ばれる。
== 生涯 ==
フランス西部ペイ・ド・ラ・ロワール地方ナントで生まれる。家はロワール川中州の一つであるフェイド島にあり、子供時代はほとんどこの家庭で過ごした。そして、この人里離れた孤立が彼の想像力と兄弟との絆を強くした。また、この当時のナントは交易が盛んで、異国情緒豊かな港町であった。そのようなナントに訪れてくる船乗りたちの冒険話もヴェルヌの冒険心と想像力をかきたて、彼は海の英雄になることを夢見たという。
父のピエールは地元の弁護士であり、論理的な人であったという。その性格を示す逸話として、自宅から事務所までにかかる歩数を知っていたことや、望遠鏡で教会の時計を見て、常に正しい時間を確認して行動していたなどといったものが残されている。このような父の性格はヴェルヌ作品の登場人物にも受け継がれることになる(例:『月世界旅行』のインピー・バービケイン)。母のソフィーは船乗りの家系の出で、父とは対照的で、ヴェルヌに「まるで竜巻のよう」とたとえられるほどの想像力の持ち主であった。ヴェルヌは5人兄弟の長男であるが、特にヴェルヌと同じく海に憧れを持つ弟のポールと仲が良かった。弟はのちに海軍に入隊したが、長男のヴェルヌは父の後を継ぐために法律を勉強した。学校はナントのリセに行った。成績は普通であったが、特にラテン語をよくし、数学好きであった。また、運動も得意だったため、学校の外では「広場の王様」とあだ名されたという。
11歳のときに、初恋の相手であるいとこのカロリーヌにサンゴの首飾りを買ってあげようと、密かに水夫見習いとしてインド行きの帆船に乗船した。しかし途中で父に見つかってしまい、「もうこれからは、夢の中でしか旅行はしない」と言ったという逸話は有名である(しかしこの逸話が事実であるかどうかについては否定的な見方もある)。
1848年、ヴェルヌは父の勧めによりパリの法律学校へ進んだ。そこでヴェルヌは多くの芸術家たちと交流した。これは、ヴェルヌの才能を見た母が、パリにいた親戚に取り計らったことによるものであった。パリでの生活は充実したものではあったが、金銭面においてはあまり余裕のない生活であったらしい。そのうちアレクサンドル・デュマ父子と出逢い、劇作家を志すようになった。大デュマがプロデュースした、ヴェルヌの処女作である戯曲『折れた麦わら』は好評を博し、2週間上演された。
その一方でヴェルヌは、自然科学の論文も読んでいた。そのような中1840年代に、彼のお気に入りの作家であったエドガー・アラン・ポーが、小説に科学的事実を取り入れることによって、物語に真実味を持たせるという技法を示し、これに興味を持つようになっていった。
友人フェリックス・ナダールが製作した気球に触発されて、1863年に書いた冒険小説『気球に乗って五週間』が大評判となり、流行作家となる。そして彼は編集者のジュール・エッツェルと契約を結んで、生涯にわたって科学・冒険小説の傑作を生み出してきた。
1883年にはアミアン市会議員に当選し死ぬまで在職した。晩年には甥ガストン・ヴェルヌに襲撃(拳銃で脚を撃たれ、生涯跛行を余儀なくされる)されたこともあり、悲観主義的傾向が強くなったと言われるが、近年偶然に発見された初期の作品『二十世紀のパリ』(作中で文明批判を展開)に見るように、悲観主義的な一面は当初から持ち合わせていたようである。
1900年に白内障を患う。糖尿病が悪化し、1905年3月24日アミアンのロングヴィル大通り44番地の自宅(現・ジュール・ヴェルヌ記念館 Maison de Jules Verne)で死去、市のマドレーヌ墓地に埋葬される。ロングヴィル大通りは後にジュール=ヴェルヌ街と改名されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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