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サー・ジョゼフ・ジョン・トムソン(Sir Joseph John Thomson, 1856年12月18日-1940年8月30日)は、イギリスの物理学者。しばしばJ. J. トムソンと呼ばれる。電子と同位体の発見者であり、質量分析器の発明者である。1906年に電子の発見と気体の電気伝導に関する研究でノーベル物理学賞を受賞した。 == 生涯 == 1856年、マンチェスターのチータムヒルで生まれる。母は地元で織物業を営む一家の出身で、父はスコットランド出身の曽祖父が作った古書店を経営していた(そのため、姓のスペルがスコットランド風になっている)。2歳年下の弟がいる〔Davis, ''J.J. Thomson and the Discovery of the Electron''〕。 まず小さな私立学校に通うようになり、そこで科学への強い興味と才能を示す。1870年、14歳の若さでオーエンズ・カレッジ(後のマンチェスター大学)に進学。両親は機関車メーカーのシャープ・スチュアートの技師になることを望んでいたが、父が1873年に亡くなったことでその道は絶たれた〔。1876年、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに移る。1880年に数学の学士号、1883年に修士号を取得。1884年、物理学のキャベンディッシュ教授職に就任。後に教え子のアーネスト・ラザフォードがその地位を引き継いだ。1890年、同じくケンブリッジ大学の物理学教授を務めていたジョージ・エドワード・パジェット卿の娘と結婚。息子ジョージ・パジェット・トムソンと娘1人をもうけた。トムソンは教育者としても科学に貢献しており、息子や7人の教え子がノーベル賞を受賞している。息子は電子の波動的性質を証明したことで1937年のノーベル賞を受賞している。 1906年、「気体の電気伝導に関する理論および実験的研究」により、ノーベル物理学賞を受賞。1908年にはナイトに叙せられ、1912年にはメリット勲章を受章。1914年、オックスフォード大学で "The atomic theory" と題したロマネス講演を行った。1918年にはトリニティ・カレッジの学長となり、亡くなるまで務めた。1940年8月30日、死去。遺体はウェストミンスター寺院のアイザック・ニュートンのすぐそばに埋葬された。 1884年6月12日、王立協会のフェローに選ばれ、1915年から1920年まで会長を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョゼフ・ジョン・トムソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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