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ジークフリート・ヴァーグナー : ミニ英和和英辞書
ジークフリート・ヴァーグナー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジークフリート・ヴァーグナー ( リダイレクト:ジークフリート・ワーグナー ) : ウィキペディア日本語版
ジークフリート・ワーグナー[ちょうおん]

ジークフリート・ワーグナーSiegfried Herferich Richard Wagner, 1869年6月6日 - 1930年8月4日)は、ドイツ作曲家指揮者演出家リヒャルト・ワーグナーコジマ・フォン・ビューローの子で、フランツ・リストの孫。
== 生涯 ==
1869年6月6日にスイスルツェルン湖畔ので生まれた。
当初は父リヒャルトが必ずしも音楽家の道を強制しなかったこともあり、建築家を志し建築学を専攻していた。だが徐々に後継者としての使命感に目覚め、父の弟子フンパーディンクに師事、作曲を学んだ。
作曲家としては多作で、オペラの作曲数は19と父親よりも多く、台本も自ら執筆している。この他に交響詩協奏曲などの器楽曲も手がけた。ただし彼の作品は生前から評価が高くなく、今日の標準的なレパートリーにもどれ一つ残っていない。1896年にはバイロイト音楽祭の『ニーベルングの指環』で指揮者としてもデビューを果たした。指揮者としては相当な腕の持ち主で、バイロイト祝祭の一時期を支える一方、ドイツ各地でも巡演をおこなった。
1908年からは同音楽祭の終身芸術監督に就任し、いくつかの新演出も担当した。後年の「トリスタン」では舞台を簡素化した上で、最新の照明技術を積極的に駆使するなど、新バイロイト様式のはしりとも言える革新的試みもおこなったが、1930年、母コジマの後を追うようにバイロイトにて心臓発作で他界した。
性格は極めて温厚で円満であり、癇癪や偏見、浪費といった父親の悪癖とも無縁だった。その人柄には多くの音楽家が惹き付けられ、気むずかし屋で知られたトスカニーニも彼のためにバイロイト音楽祭への出演を快諾している。
その気質からか、台頭しはじめていたナチズムにも終始距離を保ち続けた。
ジークフリートは密かに両性愛者であったとも言われており、異性にはともかく、結婚にはほとんど関心を示さなかった。1914年バイロイト音楽祭において、17歳のヴィニフレート・クリントヴォルトと接触する機会が用意され、1915年9月22日に両者は結婚した。二人がもうけた子供は、以下の四人である。
# ヴィーラント (1917年 - 1966年)
# フリーデリンデ (1918年 - 1991年5月8日)
# ヴォルフガング (1919年 - 2010年)
# ヴェレナ (1920年 - )
このほかにジークフリートは、牧師の娘との間に私生児ヴァルター・アイグン(Walter Aign)を儲けた。ヴァルターはジークフリートの存命中に、バイロイト祝祭歌劇場のコレペティートルに雇われたが、ジークフリートの没後にヴィニフレート未亡人が劇場運営を支配するようになって解雇されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジークフリート・ワーグナー」の詳細全文を読む




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