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スアンロクの戦い(, )は、ベトナム戦争における最後の大規模な戦闘である。戦闘は1975年4月9日から始まり、4月21日にベトナム人民軍(北ベトナム軍, NVA)第4軍団がスアンロク市街を占領した事によって終結した。 == 概要 == 1975年初頭、北ベトナム軍はほとんど防備の置かれていなかったベトナム共和国北部への侵攻を開始した。中部高原では、ベトナム共和国陸軍(南ベトナム軍, ARVN)のが崩壊し、残存部隊はメコンデルタ方面への撤退を開始していた。またフエやダナンなどに駐在していた南ベトナム軍部隊は全くの抵抗を行わずに無力化されたという〔James Willbanks, p.251〕。南ベトナム軍が敗走を続けるようになると、ベトナム共和国議会ではグエン・バン・チュー大統領の戦争指導に対する疑問と批判が高まり、やがて辞任を求める声も出始めた〔Alan Dawson, p.66〕。 チュー大統領は共和国を防衛する為の最終的な抵抗として、唯一戦力を保っていた南ベトナム軍に対して総力を上げてスアンロクを防衛するようと命じた〔Alan Dawson, p.59〕。一方の北ベトナム軍では、サイゴンへの進路確保を任務とする北ベトナム軍第4軍団がスアンロクへと進軍しつつあった〔Pham Ngoc Thach & Ho Khang, pp.372–376〕。こうしてベトナム人同士の12日間にも渡る激戦が幕を開けたのである。この戦闘は、主に南ベトナム軍将兵の勇敢さと共に記憶されている。戦闘の初期段階では、南ベトナム軍第18師団が北ベトナム軍の攻勢を複数回にわたって撃退に成功しており、北ベトナム側は当初計画されていた作戦と戦術を大きく転換することになった〔Ho Son Dai, pp.138–189〕。 1975年4月19日、完全にスアンロクが孤立した後になって、ようやく南ベトナム軍部隊に撤退の許可が与えられた。スアンロクでの敗北の後、10年以上もベトナム民主共和国(北ベトナム)の共産主義者と戦い続けてきたチュー大統領はついに辞任に追い込まれた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スアンロクの戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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