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「スイート・キャロライン」(''Sweet Caroline'')は、アメリカ合衆国のポピュラー音楽の歌手、ニール・ダイアモンドの楽曲。カトリック教徒初の合衆国大統領ジョン・F・ケネディとその妻ジャクリーン・ケネディ・オナシスのあいだに生まれた長女、現駐日アメリカ合衆国大使キャロライン・ケネディを歌ったもの。ボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークで、8回表が終わった後に同曲が流される。billboard 全米シングルヒットチャートで、1969年8月、4位を記録した〔http://www.billboard.com/artist/312095/neil-diamond/chart?page=3&f=379〕〔https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Billboard_Hot_100_top_10_singles_in_1969〕。なお、ボビー・ウーマック、フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリー、フリオ・イグレシアスら数多くの著名アーティストからカバーされている〔https://en.wikipedia.org/wiki/Sweet_Caroline〕。特にシナトラについては、ニール・ダイヤモンド自身が、最も好きなカバーの一つだと述べている〔https://en.wikipedia.org/wiki/Sweet_Caroline〕。マフィアとつながりのあるとされるシナトラは、イタリア系カトリック教徒としていわれなき差別を受けてきた経験から、アイルランド系ではあるものの同じカトリックで、なおかつ公民権運動に肯定的なキャロラインの父親の政策を全面的に支持し、彼の大統領選を資金面で支えた〔https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BBF%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3 及び https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%A9 なおこれらのウィキペディア情報によると、シナトラはキャロラインの父親にモンローを紹介した人物であり(ローフォードが紹介したとの説もある)、またキャロラインの父親並びに叔父の暗殺に黒幕として関わったとの噂もあるとされている。仮にそれらの噂が事実であるとすれば、いわば不倫相手を紹介し、その後仲違いした旧友の愛娘を歌った曲を、シナトラは平然とカバーしていたことになる。なお、大統領の父ジョセフ・P・ケネディも禁酒法時代にマフィアと組んで酒の密輸で稼いでた可能性があると https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BBP%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3 に記されている〕。さらにシナトラ一家のピーター・ローフォードがキャロラインの父の義弟となり、ケネディの広報・応援に携わるようになったいたこともあって、シナトラも多くの著名芸能人のケネディ支持を取りつけるべく努めた〔https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%A9〕。いわばこれはキャロラインの身内の大スターによるカバーであるともいえる〔ヤンキースタジアムの試合終了時の曲はシナトラ歌う「ニューヨーク・ニューヨーク」である。オリジナルのライザ・ミネリの音源が敗戦時、シナトラの音源が勝利時に流れたが、今はすべてシナトラのものであるという。ニューヨーク・ヤンキースの歌は球場で、レッド・ソックスの歌は球場の外で、シナトラは歌っていることにもなる〕。またフリオ・イグレシアスのカバーのタイトルはSweet Carolineのスペイン語訳DULCE CAROLINAである。変わったところではクラシックのオケ、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団によるカバーも存在する〔https://es.wikipedia.org/wiki/Sweet_Caroline 及び http://www.amazon.co.jp/Sweet-Caroline-made-famous-Diamond/dp/B003I341O2〕。またわが国ではケネディやシナトラと同様カトリックの信仰をもつ南沙織がアルバム『純潔/ともだち』(1972年)のなかの8曲目で、この曲のカバーを歌っていて〔https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E6%BD%94/%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%A0%E3%81%A1〕、このアルバムはオリコン2位を獲得している。さらに加山雄三が1976年の武道館ライブにおいてこの曲のカバーを歌っている〔http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3/dp/B014UI2RVW〕。また比較的最近ではベルギーの歌手クリストフが2011年に出したカバーがフラマン語週間top50チャートで1位を獲得している〔https://nl.wikipedia.org/wiki/Christoff_De_Bolle 公式ビデオクリップは以下のもの https://www.youtube.com/watch?v=QJAzjc48Hgc〕。またフォックス放送で2009-2015年に放送され、NHKでも2013年度に一部放映されたテレビドラマgleeにおいて、マーク・サリングが2009年、第1シーズン第8エピソードにて〔https://fr.wikipedia.org/wiki/Sweet_Caroline_(chanson)〕この曲のカバーを歌い、全米シングルチャート34位となった〔https://en.wikipedia.org/wiki/Sweet_Caroline〕。なお2007年のインタビューでようやくニール・ダイヤモンドは、この曲がリリース当時11歳であったキャロライン・ケネディを歌った曲であるとあかした〔https://en.wikipedia.org/wiki/Sweet_Caroline 及び http://www.theguardian.com/world/2007/nov/21/usa.musicnews なお、これ以前(少なくとも1997年以降)からボストン・レッドソックスで歌われているのが不思議ではある。なぜならボストンはキャロラインの祖父ジョセフ・P・ケネディの生誕の地であり、近郊ブルックラインにジョン・F・ケネディ生誕の家もあり、ケネディ家と同じ、カトリック教徒の多い土地であるからである〕。メンフィスのホテルに滞在中、9歳のキャロラインの乗馬シーンをLIFE誌の表紙で見たニールは、インスピレーションを得て、2年間かけて作品にまとめたという〔http://www.theguardian.com/world/2007/nov/21/usa.musicnews http://www.amazon.com/LIFE-Magazine-September-Caroline-Kennedy/dp/B000JK011O〕。50歳を迎えたキャロラインの眼前で、ニールはこの曲を歌って、キャロラインの誕生日を祝った〔https://en.wikipedia.org/wiki/Sweet_Caroline〕。 == 関連記事 == 毎日新聞 2013年7月27日社説「駐日米大使指名 スイート・キャロライン」https://web.archive.org/web/20131202231904/http://mainichi.jp/opinion/news/20130727k0000m070113000c.html 経済界 2013年7月30日記事「スウィート・キャロライン-オバマ大統領の英語 第102回-」 http://net.keizaikai.co.jp/archives/2118 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スイート・キャロライン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sweet Caroline 」があります。 スポンサード リンク
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