翻訳と辞書
Words near each other
・ スクレ市
・ スクレ市 (ベネズエラ)
・ スクレ市 (ベネズエラ・ミランダ州)
・ スクレ市 (ボリビア)
・ スクレ市 (ミランダ州)
・ スクレ県
・ スクレ空港
・ スクロオキシ水酸化鉄
・ スクロバチェフスキ
・ スクロヴァチェフスキ
スクロヴェーニ礼拝堂
・ スクロース
・ スクロース α-グルコシダーゼ
・ スクロースシンターゼ
・ スクロースホスファターゼ
・ スクロースリン酸ホスファターゼ
・ スクロース酢酸イソブチル
・ スクロール
・ スクロール (編集プロダクション)
・ スクロール (通販会社)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

スクロヴェーニ礼拝堂 : ミニ英和和英辞書
スクロヴェーニ礼拝堂[すくろヴぇーにれいはいどう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [れい]
 【名詞】 1. expression of gratitude 
礼拝 : [れいはい]
  1. (n,vs) (1) worship (esp. Christian) 2. adoration 3. divine service 
礼拝堂 : [れいはいどう]
 (n) (1) place of worship (esp. Christian)
: [はい]
 (n) worship
: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 

スクロヴェーニ礼拝堂 : ウィキペディア日本語版
スクロヴェーニ礼拝堂[すくろヴぇーにれいはいどう]

スクロヴェーニ礼拝堂(スクロヴェーニれいはいどう、())は、イタリアパドヴァにある礼拝堂。エンリコ・デッリ・スクロヴェーニが購入し、礼拝堂を建てた場所が古代ローマの競技場(アレーナ)であるアンフィテアトルム跡に隣接していることから「アレーナ礼拝堂」とも呼ばれる。1305年に完成したジョット・ディ・ボンドーネが描いた、西洋美術史上もっとも重要な作品である一連のフレスコ絵画で知られる。礼拝堂は受胎告知聖母マリアの慈愛に捧げられており、ジョットのフレスコ画は聖母マリアの生涯を描き、人類の救済におけるマリアが果たす役割を祝福するものになっている。スクロヴェーニ礼拝堂が建てられた場所は、それまでおよそ30年間に渡って行列祈祷式が行われ、受胎告知を題材とした演劇が上演されてきた場所だった。イタリア人音楽理論家マルケット・ダ・パドヴァ (:en:Marchetto da Padova) の手によるモテも1305年5月25日に奉献されたと考えられている〔An acrostic in the motet's text suggests Marchetto was the composer.〕。

== 歴史とジョットのフレスコ画 ==

スクロヴェーニ礼拝堂は、高利貸で財産を築いた一族出身のエンリコ・デッリ・スクロヴェーニがパトロンとなって創設された。当時、過剰に利子を取る高利貸はキリスト教の秘跡を受けられなくなるほどの重大な罪とされ、初期の銀行業者は自分の商売のゆえの魂の地獄堕ちについて気にかけていた〔Stokstad, Marilyn〕〔ジャック・ル・ゴフは、13世紀頃にはまだ商人や銀行業者と高利貸ははっきり区別できるものではなかっただろうと指摘している(ル・ゴッフ『中世の高利貸』法政大学出版局、66-67頁)。〕。エンリコが私財を投じて礼拝堂を建設したのは、父親の罪と、自身の免罪とを意図したものだったと指摘されている。エンリコの父レジナルド・デッリ・スクロヴェーニ (:en:Reginaldo degli Scrovegni) は、神曲の中でダンテが出会う高利貸として書かれる人物である。近年の研究ではエンリコも高利貸であり、贖罪のために礼拝堂を建設したともいわれている〔Anne Derbes and Mark Sandona, ''The Usurer's Heart: Giotto, Enrico Scrovegni, and the Arena Chapel in Padua.'' Pennsylvania State University Press, 2008.〕。エンリコの墓は礼拝堂の後陣(アプス)にあり、肖像画が『最後の審判』で礼拝堂をマリアに祈り捧げている人物として描かれている。
スクロヴェーニ礼拝堂は表向きはスクロヴェーニ一族のための小礼拝堂だったが、受胎告知の祝祭に関する公的役割の機能も持った施設だった〔The connection of the ''Annunciation'' of the fresco cycles and the feast is explored by Laura Jacobus, "Giotto's Annunciation in the Arena Chapel, Padua" ''The Art Bulletin'' 81.1 (March 1999), pp. 93-107.〕。
ジョットが描いたフレスコ画は別として、スクロヴェーニ礼拝堂には装飾がほとんどなく、円天井が採用されている程度である。『最後の審判』は礼拝堂入口上部の壁一面にあり、先述のマリアに祈りを捧げるエンリコの肖像画もここに描かれている。四面全ての壁に、上中下の三段に分割されたフレスコ壁画と、2メートル四方の装飾画がそれぞれ描かれている。ジョットは各絵画の間には人工的な彩色大理石と小さなくぼみを配して場面を分割している。一連のフラスコ画が表現する聖母マリアの生涯は祭壇に面した壁の右上から始まっており、マリアの母アンナへの受胎告知やエルサレム神殿へのマリア奉献が描かれている。そのあと、キリスト生誕、キリスト受難、キリスト復活、聖霊降臨などへと物語が流れていく。
礼拝堂壁面に描かれた一連の絵画は感情表現、立体的な人物像、自然な空間描写で特筆すべきものになっており、とくに興味深い絵画の一つとして、キリストを処刑に追いやる裏切りの第一歩となった『ユダの接吻』で描写されているユダの肖像である〔Stokstad, Marilyn〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スクロヴェーニ礼拝堂」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.