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スティーブ・トラクセル : ミニ英和和英辞書
スティーブ・トラクセル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

スティーブ・トラクセル : ウィキペディア日本語版
スティーブ・トラクセル[ちょうおん]

スティーブ・トラクセルStephen Christopher Trachsel , 1970年10月31日 - )は、メジャーリーグベースボール投手。右投右打。アメリカ合衆国カリフォルニア州オックスナード出身。
==略歴==

*カブス時代
1991年に、ドラフト8巡目でシカゴ・カブスから指名を受け、プロ入り。入団3年目となる1993年に、メジャーデビューを果たした。1994年から、カブスの先発ローテーションに定着。ストライキが行われた為、9勝止まりだったが、3.21という防御率を記録。2ケタ勝利をしても何ら不思議の無い防御率だった。しかし、翌1995年は大乱調。防御率は5.00を超え、勝ち星もわずか7勝止まりだった。しかし、1996年には復活。自己ベストとなる防御率を記録し、自身初の2ケタ勝利(13勝)を記録した。その後は、好調と不調が交互に訪れるような状況になり、1998年に15勝を挙げた以外に、特別優れた成績を残す事はなかった。なお、1998年9月8日には、マーク・マグワイアにメジャー新記録(当時)となる62本目の本塁打を打たれた。
*タンパベイ・デビルレイズ時代
2000年は、タンパベイ・デビルレイズに移籍してのシーズン。防御率は4.58と、まずまずの成績ながら6勝10敗と大きく負け越してしまった。シーズン途中に、トロント・ブルージェイズに移籍する事になった。
*トロント・ブルージェイズ時代
移籍後は、2勝5敗とデビルレイズほどの負け越しはしなかったが、防御率が悪化。最終的には8勝15敗と、7つの負け越しでシーズンを終えた。オフに、ニューヨーク・メッツに移籍。
*ニューヨーク・メッツ時代
メッツでは、移籍1年目の2001年から4.00台の防御率で2ケタ勝利を挙げる活躍。2002年には、規定投球回に到達した防御率としては、自己二番目の数値を残し、翌2003年には16勝を挙げた。2004年も、まずまずの成績を残したが、2005年背中の痛みが原因となり、8月まで投げられない状態が続いた。復帰後初の登板(8月26日)では、サンフランシスコ・ジャイアンツを8回2失点に抑え、勝ち投手になったが、その後はパッとせず、いまひとつの成績に終わった。2006年は、勝ち星こそ15勝だったものの、投球内容はイマイチで、15勝を挙げられたのは、メッツの強力打線の援護を受けたからである。
*ボルチモア・オリオールズ時代
2007年になった時点では、オリオールズの構想には入っていなかったが、先発ローテーションの一角であるクリス・ベンソンが肩の手術を受け、シーズン絶望となった為、その代役として急遽、補強された。8月31日ロッキー・チェリースコット・ムーアとのトレードで古巣カブスに復帰した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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